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面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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帝王切開出産が人類の進化に影響

帝王切開出産が人類の進化に影響=オーストリア研究者ら (BBC News) - Yahoo!ニュース 2016/12/7

帝王切開の普及が人類の進化に影響を及ぼしていると、科学者らが指摘している。

オーストリアの研究者らはこのほど、骨盤の幅が十分でないために帝王切開が必要になる母親が増加しているとの調査結果をまとめた。論文は米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された。

研究者らの推計によると、生まれてくる赤ちゃんに対して産道が狭すぎる例が、1960年代には1000件のうち30件だったのが、現在は36件に増えた。 

人類史を振り返ってみると

言語の使用は脳の容量を小さくさせ

文字の使用はさらに容量を現象させ

火の使用はあごを弱くし

農耕は炭水化物主体の食事にして歯のかみあわせを崩し、

コンピュータの使用が記憶力の低下をさらに進めたというように、

体の外側を変化させて便利さ・快適さを追求することは

一貫して人類を退化させてきている。

 

200年程前から始まった科学技術の飛躍的な進歩は

この動きを極端に加速させているのである。

 

生物としての人間が生きていくためには、

他の生物たち同様

不便や不快を肉体の変化によって解消するしかないのである。

 

それを行うには、

自己暗示自己催眠精霊信仰こそが有用であり、

ほとんどの科学技術は無用なのである。

 

「太平洋戦争は回避できた」という詭弁

真珠湾攻撃から75年、歴史家・加藤陽子氏は語る「太平洋戦争を回避する選択肢はたくさんあった」 

太平洋戦争の開戦から12月8日で75年を迎える。改めて、なぜ日本は戦争へと至ったのだろうか。

日本近現代史が専門の加藤陽子東京大学教授は近著『戦争まで』で、1941年の太平洋戦争の前に、世界が日本に「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた交渉事は3度あったと指摘する。「満州事変(1931年)とリットン報告書(1932年)」「日独伊三国同盟(1940年)」そして「日米交渉(1941年)」だ。

日本は、真に問われていた選択肢が何であったのかをつかめず、本来はあり得た可能性や回避可能な選択肢をみすみす逃した。ただ、「世界」の側が常に正しかったとも言えない。「世界」から選択を問われた日本がどんな対応をとったのか、それを正確に描くことは「未来を予測するのに役立つ」と加藤氏は語る。

 

明治維新とは、エコロジカルな文明を維持してきた江戸期日本を破壊して、環境破壊と引き換えに産業活動を活発化させるために西洋文明の支配者たちが起こしたクーデターだった。

 

その後の日本の歩みはすべて彼らの描いた青写真に従って実現されたものであり、太平洋戦争も例外ではなかった。

 

マルコ・ポーロコロンブス、マゼラン、東インド会社イエズス会千利休(聖ルカ)と並べていけば、日本だけが独自路線を歩めるはずなどないことは明らかなのである。

 

私たちが、過労死、うつ病、格差、学歴、住宅ローンに苦しみ、意味のない戦争や紛争を繰り返す歴史から抜け出すには、現実を正しくとらえ、生物としての現実に即した、遊動する狩猟採集生活に戻るしかないのであった。

 

 

人よりクマが大切? 京都府の保護政策に疑問の声 (京都新聞)

人よりクマが大切? 京都府の保護政策に疑問の声 (京都新聞) - Yahoo!ニュース 2016/12/4

京都府内でツキノワグマの出没が最も多い丹後地域で、府の保護政策に対する疑問の声が上がっている。府のレッドデータブックで「絶滅寸前種」とされ、11月15日に解禁された狩猟でもツキノワグマは捕獲禁止だ。12月に入り、クマの活動は鈍くなると思われるが、過去には冬場に出没した例もあり、住民の不安は尽きない。
 「事故が起きないうちに早く何とかしてほしい」「せっかく捕まったのに、なぜ放獣するのか」
 11月10日夜、与謝野町石川であったクマ対策の会合。石川区の総代らが府丹後広域振興局や町の職員に訴えた。同区では2010年に女性がクマにかまれてけがを負う被害が出ており、住民の危機感は強い。井田義之区長(78)は「今年は何回も柿の木が荒らされている。地域を守らねば」と話す。 

この報道も、マスコミが真実から人々を遠ざける例の一つになっている。

 

例えば、「クマが故意に人をねらって襲うか」という問いに、実際にクマを見たことのある人は10%だけが「はい」と答え、見たことのない者では33%になっているなど、マスコミ報道のせいで、クマは実際以上に危険な動物であると印象付けられている。

書評 『オオカミはなぜ消えたか―日本人と獣の話』

 

さらに、元々自然界に囲まれて暮らしてきた人々は、人が野生動物の犠牲になることもそれほどおおげさに考えてこなかったのである。トラに食われる人があっても、「飛行機だって事故を起こすだろ」と言ってのける人もあれば(書評 『インド動物ものがたり―同じ地上に生なすもの』)、人がライオンに食われても何もしないが、ヤギが食われて初めて鉄砲を持ちだす地域もあります(『江戸とアフリカの対話』の感想、レビュー(るびりんぐさんの書評)【本が好き!】)。アイヌも元は死者を浅く掘った穴に横たえ、上に木の枝を覆う程度の葬送を行っていました。人は獣に食われたことでしょう。

 

このような本を読んでいくと、人は比較的強い動物であって野獣から狙われることは少ないことや、少々の犠牲を受け入れていかないともっと大きな害が出てくるのであろうということが見えてくるのです。

 

マスコミが流す情報のせいで人はどんどん窮屈な社会を受け入れさせられていっているという事実に早く気付き、マスコミという存在を禁止するような方向に世論がうごく日はもう目前に来ています。

原発避難の小4に担任が「菌」発言 いじめ相談の5日後/隠される3号機爆発映像

原発避難の小4に担任が「菌」発言 いじめ相談の5日後:朝日新聞デジタル 2016/12/2

 新潟市の小学4年の男子児童が、担任の40代男性教諭から名前に「菌」をつけて呼ばれ、1週間以上学校を休んでいることが、保護者や学校への取材でわかった。児童は5年前、東京電力福島第一原発事故福島県から家族と避難していた。同級生からもそう呼ばれ、この担任に相談していたという。 

 

www.youtube.com

 

この映像は、ドイツのテレビ局がフクイチ3号機の爆発の様子を伝えたものでした。放射能汚染の程度を多くの人々が心配する中でまっさきに隠蔽された映像でした。1号機の爆発映像についてはこれほどの大爆発は起きておらず、それほど心配しなくてもよいかもしれないと思わせる内容であり、その後も何度も流されましたが、この映像に関しては、何度アップロードされても著作権違反として削除されました。

 

この事実からわかることは、

著作権違反」という法律が人々に事実を知らせないために役立っていることと、

人は重大な事実であればあるほど隠したがるということでしょう。

 

どんなに普段立派なことを言っていてもいざとなればいとも簡単に隠蔽や保身に走る。

 

だからこそ、法律などというものにまかせてはならないし、隠蔽できる状況を作ってもいけないのです。

 

根本まで遡れば、誰も正義面することなどできず、誰もが隠しごとをし、保身に走るということを前提に作られた社会でなければうまくいくはずなどなく、主に優秀といわれるユダヤ人たちが活躍して作りあげた現代社会は根本から否定されなければいけないのです。

 

 

 

 

電通の自浄能力/NHKの報道倫理

電通、NHK取材に「自浄能力がない」と感想を述べた若手社員を「戒告」の懲戒処分にして自浄能力のなさを改めて示す:MyNewsJapan 2016/11/30

電通が、社長セッションのあとでNHKの出待ち取材に答え「自浄能力がない会社だなと思う」等と感想を述べた20代社員に、始末書を書かせて「戒告」の懲戒処分を下していたことがわかった。先週(11月21日の週)の局会や部会等を通して、大半の現場社員に知れわたった。社員からは「ごく普通の意見で何も処分されるような内容ではない」「経営側にとって都合の悪い話が出ないよう、締め付ける目的」「かわいそう」といった同情の声ばかりが聞かれた。NHKは本人を特定できる形で、かつ「40代社員」と見た目で適当に判断して年齢を偽った報道を行い、翌日になって該当部分を丸ごと削除。誤報のうえ、取材協力者に報道被害を与え、処分で電通社内を萎縮させ、視聴者には説明なく突然「なかったこと」にするという、報道倫理が欠落した、ずさんな仕事ぶりだった。 

この記事を読むと、人は理性的な存在であるということが前提にされているようである。組織は自浄能力を持つことができ、報道倫理を持つことができるという建前である。

 

ところが、人は本来どのような存在であるのかを調べていくことで見えてくるのは、まったく逆の事実である。

 

人がもっとも人らしく生きていた時代は、狩猟採集の時代であり、子育てや精神的成長、知力の成長に欠かせない環境が存在し、生物は死ぬのだという事実に即して、日々を楽しむ生き方ができていた。この時代、人は利己的な存在であることを皆が知っており、だからこそ平等性を高めるように規範ができていた。集団を作ることが優位に働く社会の中で、利己的な人々は集団の規範に従うほうを選んでいた。それと同時に、ときには家族だけで暮らす自由も持ち合わせていたのだ。自由に移動し、自力で食べ物や薬草、必要な道具を手に入れることができることが、強制力を持つリーダーを生まず、人は無理に犠牲を強いられることもなければ、意志を曲げる必要もなかったのだ。

 

今はどうか。支配者たちは資源を独占し、制度を作りあげて、生きていくためには、意に沿わない命令に従い、組織に逆らわないようにするしかない状況を作りあげてしまった。自浄能力とか倫理という概念をどんなに作ろうが、狩猟採集社会のように自力で生きていくことのできる環境が奪われてしまっている以上どうにもならないのである。

 

人は理性的な動物などではなく、生きる手段によって行動が規定される、利己的な生物でしかないという事実を前提として考えていかないと、いつまでも幻想を追って犠牲を払い続けることになってしまうのだ。 

 

 

 

 

 

美濃加茂市長に逆転有罪=浄水設備汚職―名古屋高裁 (時事通信) - Yahoo!ニュース

美濃加茂市長に逆転有罪=浄水設備汚職―名古屋高裁 (時事通信) - Yahoo!ニュース

岐阜県美濃加茂市の雨水浄化設備導入をめぐり現金30万円を受け取ったとして、受託収賄罪などに問われ一審名古屋地裁で無罪となった市長の藤井浩人被告(32)の控訴審判決が28日、名古屋高裁であった。

 村山浩昭裁判長は一審判決を破棄し、懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金30万円を言い渡した。

 「市長に現金を渡した」とする贈賄側供述の信用性をどう判断するかが焦点。一審判決では信用性が否定され、検察側が控訴していた。 

昨日も裁判関係の記事を取り上げた。

この判決も、小沢一郎氏の事件と同じく、実に不可解な判決としかいいようがない。

 

こうして、どう考えても疑問の残る判決が繰り返さえながらまだ、法治主義を信じているとすれば、それは、文明の支配者たちによる価値観の植え付けにまんまとやられているにすぎないのだ。

 

私たちが目指すべきは、法の公平な執行や、司法制度の改革ではなく、巨大組織を作りあげてあらゆるものを独占できる現実を壊していくことなのだ。

 

 

他人の便利にNO!と言いたい

他人の便利にNO!と言いたがる人たち - おのにち

他人が「便利になる」こと、「楽をする」ことは悪いことなのか。
本当にデメリットはあるのでしょうか。何事も昔のままが一番なの?

あなたはどう思われますか? 

農耕は食料確保を便利にしたかもしれないが、人口増加を招き格差社会を作り戦争を生みだした。

穀物は便利な食べ物ではあるが穀物を食べ始めた途端に人は虫歯を作り、顎を弱くし、歯のかみ合わせが合わなくなってしまった。

言葉は便利ではあるが、言葉があるせいで、人は個々に経験から学び、柔軟に対応することを許されず、言葉によって作りあげられた社会に縛られて、一生を誰かの価値観ばかり学んで過ごすようになった。

電気は便利であるかもしれないが、電力を作りだす仕組みはどれも大規模な環境破壊を招いており、もはや行きづまっている。

医療は人を助けてなどおらず、むしろ誰も何のために生きているのかわからない暮らしを作りだしている。

最も大切なことは、人は死ぬ存在であるということを、便利な生活は人々に意識させないようにできあがっているというポイントである。人が機会や労働者+消費者あるいは家畜・ロボットとしてではなく、人として生きることができるのは、便利さとひきかえにあらゆる側面を支配制御される生活などではなく、不便で不足しているが、自然と向き合って体感しながら直接経験から学ぶ生き方しかないのである。