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電通の自浄能力/NHKの報道倫理

電通、NHK取材に「自浄能力がない」と感想を述べた若手社員を「戒告」の懲戒処分にして自浄能力のなさを改めて示す:MyNewsJapan 2016/11/30

電通が、社長セッションのあとでNHKの出待ち取材に答え「自浄能力がない会社だなと思う」等と感想を述べた20代社員に、始末書を書かせて「戒告」の懲戒処分を下していたことがわかった。先週(11月21日の週)の局会や部会等を通して、大半の現場社員に知れわたった。社員からは「ごく普通の意見で何も処分されるような内容ではない」「経営側にとって都合の悪い話が出ないよう、締め付ける目的」「かわいそう」といった同情の声ばかりが聞かれた。NHKは本人を特定できる形で、かつ「40代社員」と見た目で適当に判断して年齢を偽った報道を行い、翌日になって該当部分を丸ごと削除。誤報のうえ、取材協力者に報道被害を与え、処分で電通社内を萎縮させ、視聴者には説明なく突然「なかったこと」にするという、報道倫理が欠落した、ずさんな仕事ぶりだった。 

この記事を読むと、人は理性的な存在であるということが前提にされているようである。組織は自浄能力を持つことができ、報道倫理を持つことができるという建前である。

 

ところが、人は本来どのような存在であるのかを調べていくことで見えてくるのは、まったく逆の事実である。

 

人がもっとも人らしく生きていた時代は、狩猟採集の時代であり、子育てや精神的成長、知力の成長に欠かせない環境が存在し、生物は死ぬのだという事実に即して、日々を楽しむ生き方ができていた。この時代、人は利己的な存在であることを皆が知っており、だからこそ平等性を高めるように規範ができていた。集団を作ることが優位に働く社会の中で、利己的な人々は集団の規範に従うほうを選んでいた。それと同時に、ときには家族だけで暮らす自由も持ち合わせていたのだ。自由に移動し、自力で食べ物や薬草、必要な道具を手に入れることができることが、強制力を持つリーダーを生まず、人は無理に犠牲を強いられることもなければ、意志を曲げる必要もなかったのだ。

 

今はどうか。支配者たちは資源を独占し、制度を作りあげて、生きていくためには、意に沿わない命令に従い、組織に逆らわないようにするしかない状況を作りあげてしまった。自浄能力とか倫理という概念をどんなに作ろうが、狩猟採集社会のように自力で生きていくことのできる環境が奪われてしまっている以上どうにもならないのである。

 

人は理性的な動物などではなく、生きる手段によって行動が規定される、利己的な生物でしかないという事実を前提として考えていかないと、いつまでも幻想を追って犠牲を払い続けることになってしまうのだ。