京大の立て看板騒動
京大で巨大立て看板をめぐり学生と職員が争う 機動隊も出動 | ピカリニュース 2016/10/03
Twitter で知ったのだが、京都大学に機動隊が出動しているという。どうやら、突入しているのではなく、校内に入る際は、身分がわからないようにしているようだ。しかし、職員の手で看板の破壊と強制撤去は行われたらしい。
【京大の立て看板騒動】
巨大立て看板現る
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職員がハンマーでぶっ壊しトラックで撤去しようとする
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学生が抗議、トラックの前に座り込み
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大学が警察・機動隊を呼ぶ
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学生が看板の破片を全部取り返す
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学生が看板修復←今ココ
あまり興味はなかったのだが、「山極壽一」総長の名をみて、思い出した。ゴリラの研究で有名な山際さんが現総長なのだ。
山際さんといえば、『15歳の寺子屋 ゴリラは語る 』のなかで、人間によって親を殺されたゴリラが、それでも人間を受け入れてくれる心の広さを教えてくれた人だ。こういう、暴力的な対応には、がっかりしてしまう。
かといって、心底落胆しているわけではないのは、所詮大学や機動隊なんてそんなものだと良く知っているからだ。
近代の大学と制度を作ったのはフンボルト(pdf)、フンボルト大学ベルリン - Wikipediaであるらしい。
それまでの大学が無用の長物とみなされていたのに対し、これ以降、自然科学を扱うことで、大学が産業社会を支える研究の拠点となったようだ。
ユダヤ学 - Wikipediaによれば、「フンボルトはユダヤ教徒解放の運動に理解を示していた」という。
このように、元々、産業発展のために作り変えられた大学は、多くの用途に利用されている。
・勉強すれば今の境遇を変えることができるという口実を与える
・そのために子を勉学に、親を労働に駆り立てることができる
・大学教授であれば無条件で信用され、民間人であれば無条件で疑われる状況を生むことができる
・資金を提供して、研究の内容、方向性を制御できる
大学がない頃であれば、研究者の意思で研究内容を決めることができ、結果の真偽を判断するのも受け手がそのたびに行うことになる。教育を受けなくても、実力さえ身に付ければ認められていたのが、肩書がないだけで除外されてしまう。こうしてみてくると、大学は良い制度なのではなく、支配のために都合のよい制度であることが明確になるのだ。
つまるところ、大学に自治があるという妄想は捨てたほうがよいのだ。