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命の重み

神宮外苑火災「白熱電球使った」 LEDだけの予定変更:朝日新聞デジタル 

 火災は6日午後5時15分ごろ発生。日本工業大学の学生らが作った木製のジャングルジムのようなアート作品が燃え、遊んでいた東京都港区の幼稚園児、佐伯健仁(けんと)君(5)が死亡し、父親(44)らがけがをした。 

まだ幼い子どもの死は、この作品を作った学生の人生にどのような影響を与えることになるのだろうか。警察の取り調べ室で、学生はどのような受け答えをしているのだろうか。

 

 

どんなに悔やんでみても、失われた命が復活することはない。それを思えば、この事件に関係する誰もが、深い悲しみに包まれているだろうと思う。

 

 

 

 

 

子どもを楽しませるはずのイベントで命を落とした我が子のことを思い、親は、自分を責めてみたり、現実のことと受け入れることができなかったりしていることだろう。子どものいない私には想像のしようもない。

 

 

 

 

まずは、哀悼の意を表しておきたい。

 

 

 

 

 

 

けれども、狩猟採集生活こそがヒトの本来の生き方なのだと考えるようになった私には別の世界も見えてきている。

 

 

 

人の死は、遅かれ早かれやって来る。むしろ人生の途上で死ぬことが当たり前で、老人になるまで生きることは稀である。老人まで生きたならば、いつまでも生にしがみついていないで、いずれ自ら死ぬ時期を選んでいかなくてはいけない。そんな暮らしの中で、人々は死を十分悲しんだ後はできるだけ早く忘れさって生きることに集中していく。そうでなければ、人生をただ悲しく苦しく送るだけになってしまう。

 

 

本来の生き方をしてきた人々は、命を大切にしすぎて、あれもこれも禁止していくのではなく、日々を生きる中で、死が突然やって来ることもまた当然のこととして扱っている。

 

 

そんな社会は、肉親の死からの回復を早めるように仕組みもできている。多くの人が多くの子を亡くし、子のできない夫婦にも養子縁組が当たり前であったりする。人々はエゴイストではあるが、狩猟や娯楽を共有することでつながりあってもいる。我が子でなくとも近親者の子を我が子同然に可愛がることができもする。また、日々の食料を得るために体を動かす暮らしは、沈みがちな心を元気づけてもくれる。

 

 

 

私たちの不幸は一つの死が重みを持ちすぎ、一つの死によって受ける影響が重すぎ、個人が重みを持ちすぎている世界に組み込まれたことにあるのかもしれないのだ。

 

 

人の本来の暮らしの中では、人ははかない存在であると正しく認識されており、このはかなさを前提として人々は日々を楽しんでいたことを私たちは思い出すべきなのだ。