派遣切りされた無職の苦悩
国は、派遣切りされた30歳無職を本気で殺しにかかってきている件。 - 30歳からの敗者復活戦 2016-11-03
このような若者を「自己責任」で片付けてしまう世間の空気。
国は、なぜ、このような若者をもっと支援しないのか?
例えば、一人暮らしをしていて、フルタイムで働いてなお給料水準が低い人は、
住居手当として月にいくらか支援してもいいのではないでしょうか。
しかし、このような手当は実現困難なように思います。
それは、今の若者の現状を理解していないと思われる人達が日本の人口の大半を占める団塊世代、高齢者だからです
この方々はこう言い放つでしょう。
学生の頃ちゃんと勉強して、新卒でいい会社に入って働き続けなかったのが悪い。
自己責任だ。
っと。
もちろん、それは重々承知です。
しかし、30代であればまだまだ人生長いです。
再チャンスできるような制度をもっともうけてもいいのではないでしょうか。
人の本来の生き方を探っていくと、人は限られた資源を分け合って生きていくしかないという前提条件がある限り、動物たちと変わらない存在であることがわかります。
どんなに農耕を頑張ってみても飢えをなくすこともできなければ、どんなに医療を進歩させても死をなくすこともできません。
むしろ、そのどうにもならないことをどうにかしようとして、今のような絶望的な状況を招いてしまったということが見えてきます。
人の本来の生き方は、チンパンジーやゴリラとどうように一定のテリトリー内を移動しながら食料を得て暮らす生き方です。定住化の強制によってほとんど失われましたが、まだわずかにそのような生活を続ける人々、遊動する狩猟採集者たちが残っています。
狩猟採集社会と定住社会の違いを見ると、狩猟採集社会では本当の自己責任があります。群れについていけなくなれば人生を終えるしかないですし、知恵や技術をみがかないでいれば、食料を得られなかったり危険を避けられなかったりして死んでしまいます。
一方、現代社会では、一部の者は法や制度に守られて手厚い介護を受けたり、裕福な暮らしを送ったりできます。ここには自己責任はありません。ただ、社会の仕組みを作りあげ、法を守らせる側に生まれたかどうかによって絶対的に有利に生きるものと、努力を重ねていっても次第に窮屈な境遇に追いやられるそのた大多数とに分かれているだけです。
その意味で「自己責任」を言う側は、同じように大多数の側に属しながらなんとかわずかに有利な立場を得ることができただけの者たちであると言えます。
福祉や法律が私たちを守ってくれるのではなく、福祉や法律があるせいで私たちは自主独立した本来の生き方ができなくなっていると知ることが、幸せへの第一歩だと私は考えます。