book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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読んでよかった「自然」の本

こんにちは。

この記事に興味を持っていただきありがとうございます。

 

皆さんはどんな基準で本を選んでいらっしゃるのでしょうか。

 

私は、人の本当の生き方を知りたくて本を選んでいます。

 

健康・医療・食・脳・心・肉体・生命・動物などのキーワードに反応して本を手に取り、特に、人類が長く続けてきた狩猟採集という生き方に着目しています。

 

この観点から本を選び始めて5年ほど経ちます。

 

その中で「自然」を題名に含む本を割と多く読んでいることに気付きました。いずれも良い本ですので、今回まとめて紹介させていただきます。

 

記事の件名に「自然」と書いてあったので、さわやかな自然を思わせる本を期待していた方には、申し訳ありませんが、そのような本は含まれていません。

 

1. 自然農法 わら一本の革命

これは有名な本なので読まれた方も多いかと思います。ただ、福岡さん自身、農耕に疑問を持たれていたのではないかと私は見ています。この場合の「自然」は、自然界から学び、自然界に近い状態を作ることを意味していると思われます。

 

2. 自然に聴く―生命を守る根元的智慧

書評を書く予定でしたがまだ書けていない本です。この本も『わら一本の革命』と同じく、化学肥料を大量に使い、土を殺す農業に疑問を感じた結果生まれた本です。書評を書くことができないのは、『自然に聴く:生命を守る根元的智慧』 - 毎日出てゐる青い空で取り上げた以上に共感できる部分がなかなかないためでもあります。しかし、自然界に従う以外にないという思想に私は強く共感しました。

 

3. あと40年健康を保つ 自然食の効力

私がこのような本を読む目的は自分の健康のためではなく、人の本来の食べ物を知ることに重点があります。この本は、小魚やエビなどを丸ごと食べること、野菜なども生で食べることの大切さなどを教えてくれました。肉や魚を食べることが悪いのではなく、家畜や養殖された魚介類、栽培された果物・野菜が健康に悪いのではないかという考えを私が持つに至った出発点になった本かもしれません。

 

4. 虫はごちそう(自然といきる)

これはしばらく手元に置いてあって、もっと早く読めばよかったと感じた本でした。この本が、「自然」という言葉から私たちが思い描く、野山の広がる世界というイメージに一番近い本であると思います。 自然といきることの楽しさが伝わってきます。

 

5. 動物たちの自然健康法

この本を読むと、動物と私たちとの近さを感じることになります。動物も健康法を持っていることを知ると、世界観はかなり変化するのではないでしょうか。一度は読んでおきたい本の一冊です。

 

6. 家庭でできる自然療法: 

一般の書店にないので、この本を知っている人は少ないでしょう。私が、風邪薬を飲む必要がないと知ったのは、この本に記載されている熱さましの方法で妻が熱を冷ましてくれたことがきっかけでした。それまで、病気といえばすぐに薬局の薬に頼っていたのが、今では、妻よりも私のほうが自然療法に傾いています。

 

7. 本物の自然療法

動物たちの自然健康法』で動物たちも薬草を使うことを知ったり、『あと40年健康を保つ 自然食の効力』で病気のときは断食して休むのがよいと知った上で読むと、この本の内容は、それらと矛盾する内容であったりします。それにも関わらず、『自然に聴く―生命を守る根元的智慧』と同様に、自然界に従う以外にないという思想が根底にある点で大いに評価したい本です。特に、私たちは、他の生命と切り離された命として存在することはできないと明確に指摘してあるところに、現代を生きるすべての人類に対するメッセージを私は読み取ります。

 

8. 覚醒する心体―こころの自然/からだの自然

この本全体に込められたメッセージは、私の考えるところとは大きく異なっています。また、内容も難しく十分に読み取ることができていない本です。それにも関わらず、ここに上げた本の中で最も重要性を持つ本であると私は受け止めています。その理由は、「<私>という存在のもっとも本質の部分に横たわっているもの(本質そのもの)は「<私>のコントロールできないもの」である」という重要な事実を教えてくれた本であるからです。私たちは、私たちの意志によって、世界を作り変えていくことができると考えがちですが、人の本来の生き方を探る読書を通じて見えてくることは、「私たちには、地上で生まれ地上で死ぬ生物としての生き方以外に生き方はない」という事実です。肉体から離れることもできなければ、寄生虫やウイルスを全滅させることも、精神だけの存在になることもできません。本書では、こうして、自然として存在する人生を「わたしの人生」として受け入れる主体が生まれるといっています。そこに、言葉によって当事者性を奪われた私たちが当事者性を取り戻すチャンスがあり、生物として束縛された生を受け入れていく、人類が地球環境を破壊しない唯一の道があると私は受け止めています。

 

「自然」という言葉を私たちが思い描くとき、自然に聴く―生命を守る根元的智慧』、本物の自然療法』、『覚醒する心体―こころの自然/からだの自然』で指摘されているような、私たちの生を束縛するものとしての自然はほとんど意識されでいないでしょう。

 

しかし、「自然」の持つ真の重要性は、これらの本で指摘されている、私たちの生を束縛し、私たちのコントロールできないものとしての自然であり、動物たちのように、それに身を委ねることで私たちはようやく大きな安心感を得られ、自然界に包まれたまま生きることができるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

火を放つ

動画をいくつか紹介します。

オーストラリアのアボリジニが野焼きをして狩猟のしやすい環境を作っていたことを示す動画です。

 

 

 

 

 

 

アボリジニ遠い昔に農耕を行っていたかもしれませんが、伝統的な暮らしは狩猟採集生活であると見なされています。しかし、アボリジニの社会を他の狩猟採集社会と比べると、他の狩猟採集者たちが「 政治、宗教、経済といった面での社会的分業も未分化で、社会的統合のレベルも低く、集団の意志を長期的にわたって左右できるリーダーも存在しない」とされるのに対して、アボリジニの社会は、随分複雑であるという特徴があります。

 

このような複雑さは、アボリジニが狩猟採集者なのではなく、野焼きを利用して狩猟採集型の農耕を行う農耕民であるところに発しているのかもしれません。

 

アボリジニによる野焼きは自然と共存するための知恵*1なのか、それとも、里山千枚田と同じように、ある程度自然と共存しながらも、本来の自然を大きく変えてしまう活動*2なのか。

 

*1 アボリジニーの感覚では神話的時代と現代とのあいだにへだたりはない。実際、つい百年前まで、「文明人」からいわせれば石器時代そのままの暮らしをしていたのである。この「未開人」が蓄えてきた知恵は、しかし、自然保護ひとつとってもたいへん理にかなったものが多い。たとえば彼らは、雨期の終わりに草原や林に火を放つが、これは白人が考えていたような自然破壊行為ではなく、植生を保つのに役立っている。野焼きをしないと落ち葉がたまって、乾期に手の付けられない大規模な火事が引き起こされる可能性があるし、背の高い草や木が茂って、アボリジニーの食糧であるカンガルーなど中型の動物の生存圏を狭めてしまう。

 

*2 オーストラリアでフィールドワークをしていると、アボリジニに惚れ込んでいる人々に出会うことがある。彼は一様に「アボリジニたちは自然と共に生きている」というのである。確かに彼らはいまだに自然の実りを口にする部分が大きい。自然に対して手を加えることは少ないかに見えるが、はたしてどうであろうか。すでに述べたように、彼らは明らかに森に火を放ちそのことによって森を管理している。ブッシュに火をつけることは、大気中の二酸化炭素濃度を増やすことにつながる。したがって、昨今の地球温暖化論議からしても、まさに環境破壊である。もっとも、狩猟採集民や焼畑耕作民の火によって増加する二酸化炭素放出量よりも、工場や発電所、塵埃処理のためのそれの方が遙かに多いだろうが。
 しかし、考えてみると人間はそもそも環境を破壊してしか生きていけない動物なのではないか。出アフリカ以来、人間が到着した新しい土地から次々と大型動物が消滅している。オーストラリアでもディプロトドンなどの大型の動物は、人間が大陸にやってきた後に絶滅した。環境に手を加えて単一の植物種のみを栽培する農業もその最たるものである。人間のなんと業深いことか。

それはともかく、原始的な生き方をしているように見える人々の実像を知ってみれば、その土地で得られる環境を生かして長く生活を続けるための知恵が詰まっていることに、私たちはここでも気づくのです。

 

 

 

 

 

遊び疲れて日が暮れて

大きな木も育たない、水の流れる川もない、乾燥した土地で生きていくことはできるだろうか。

 

冬季の平均最低気温は0度を下回るような土地で霜が降りたりするのである。

獲物になる草食獣や、ダチョウも住んでいるが、ライオンもうろつくことのある土地なのである。

 

 

そんな土地に暮らす人々の様子を、音を消してみていると、毎日実に楽しそうに見えてくる。

 

みな、しなやかそうに痩せた体付きをしていて、体中が顔面のような丈夫な皮膚で覆われている。

 

なにしろ、学校もなければ会社もなく、持ち物も少ないのだから、気軽な暮らしだ。

 

夜になれば明かりのない世界が広がっているだろう。

 

雨が少ないことや、草木が少ないことは、快適な空間を作りだすことになっているようだ。

 

男の子たちは砂丘をかっこうの遊び場にして、マットの上で遊ぶように跳ねまわっている。

 

女性たちは、白い石を削って首飾りを作る。

 

 

男性たちが、獲物をしとめて帰ってくれば、皆で喜んで踊るのだが、 その踊りは見せるための踊りではなく、その歌は聞かせるための歌ではない。

 

 

この様子を見ていると 人間の本来の感情のあり方が伝わって来る。

 

 

もちろん、カラハリに住むことができるのは、賢く知恵深い人々であるからだ。 必要なほとんどのものを大地から得て暮らしていけるのだ。 そして、『身体の人類学』を読むとわかるように、人間は童話の国の存在ではなく、人間関係に苦しみ、さまざまな決まり事を作って生きている普通の人たちなのだ。 それでも、電気も水もお金も国も裁判所も学校も企業もない世界は、こんなにも生き生きとした感情豊かで本来的な世界なのだ。

 

 

 

ウルトラマンのような、宇宙怪獣のようなセンスを持っていた、氷河の地に住む裸族

絶滅した裸族「ヤーガン族」がまるでウルトラマンや仮面ライダーの超センス:DDN JAPAN 

その異様な風貌は、19世紀にこの地に降り立ったフェルディナンド・マゼランチャールズ・ダーウィン、ジェームズ・クックらを驚嘆させ、ダーウィンは「彼らが同じ世界に住む仲間であるとはほとんど信じられない」と書き残しています

Yaghan-people-02.jpg


裸で生活してきた永い年月によって彼らの代謝は現代人からは想像できないほどのレベルに達し、極寒の中でも高い体温を維持することを可能にしていました。体の表面積を少なくするために、彼らの生活の基本的な姿勢は屈んだ状態だったと伝えられています。 

おそらくおよそ7万年程前にアフリカを経った人類の祖先が、陸伝いにたどりついた果ての地は、氷河の見える場所でしたが、海流の影響で、冬でも平均最低気温がマイナス2度ほどに保たれる緯度の割には温暖な土地でした。

 

この彼らの様子を写真に撮影したのがドイツ人宣教師(先住民の絶滅に先だってまたしても宣教師!!)、 Martin Gusinde(マルティン・グシンデ)でした。

 

写真を収録した著書は英語版「The Lost Tribes of Tierra del Fuego」とフランス語版/スペイン語版「L'esprit des hommes de la terre de feu」が出ているようです。

 

ヤーガンの生活ぶりについては、『世界の狩猟民』に多数記述されています。

 

奇抜なセンスだけでなく、生きる知恵にも興味を持っていただけたらと思います。

 

 

 

日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれるー外資サムソンか公務員以外就職先のない国となれといこと!!

前回取り上げた記事の続編のようです。

 

日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 2016/12/16

実はこのままにしておきますと、数年後には、日本は生産性で韓国にすら抜かれることが予想されます。

1990年には、日本の購買力調整済みの1人あたりGDPは韓国の2.44倍でしたが、毎年そのギャップが縮まっており、2015年は1.04倍となっています。生産性はやがて収入に収斂していきますので、このままですと、生活水準で韓国の後塵を拝することになってしまいます。

この記事についても、文明は、人を働かせて搾取する支配者たちのものであるという陰謀論の知識を前提とすると、文明の支配者によって植え付けられた、人を不幸にするだけの価値観に基づいて書かれたものであるということがわかります。

 

韓国経済の実態はといえば、すでに国内企業は存在せず、わずかに存在している巨大な外資系企業に就職するか、公務員になる以外に、まともな生活を送れないような国になってしまっています。このような状況を生みだしたのは、IMF世界銀行という、陰謀論的には、支配者たちの手先となって経済をのっとる組織たちであると見なされている組織です。

 

しかも、貧困のあるところキリスト教ありであり、人々は、生物としての自然の欲求を受け入れるのではなく、搾取された状況を受け入れるように訓練されていっているのです。

 

このような国と比較して、日本に経済発展を煽る先に幸せがあるはずなどありえないのです。

 

 

 

「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実?― 先進国の実態は、植民地経営国なのだから植民地を持たない日本の生産性が低いのは当然のこと

「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実 | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 2016年12月09日

 

日本は「成熟国家」などではない。まだまだ「伸びしろ」にあふれている。
著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。
彼が「アナリスト人生30年間の集大成」として、日本経済を蝕む「日本病」の正体を分析し、「処方箋」を明らかにした新刊『新・所得倍増論』が刊行された。そのポイントを解説してもらう。
日本は「GDP世界第3位」の経済大国である
 → 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)
日本は「輸出額世界第4位」の輸出大国である
 → 1人あたり輸出額は世界第44位
日本は「製造業生産額世界第2位」のものづくり大国である
 → 1人あたり製造業生産額はG7平均以下
日本は「研究開発費世界第3位」の科学技術大国である
 → 1人あたり研究開発費は世界第10位
日本は「ノーベル賞受賞者数世界第7位」の文化大国である
 → 1人あたりノーベル賞受賞者数は世界第39位
日本は「夏季五輪メダル獲得数世界第11位」のスポーツ大国である
 → 1人あたりメダル獲得数は世界第50位
 

この記事から4日後、次のような記事が掲載された。

EU、チーズ関税の全廃要求=日欧EPA交渉、農産物でなお溝 (時事通信) - Yahoo!ニュース 2016/12/13

 EUは豚・牛肉でも日本の市場開放を要求し、豚肉は「原則、TPP並み」(関係筋)とする具体的な条件で攻防が続いている。日本は流通量が多く価格の安い豚肉に対する関税を残したい意向だ。EUは牛肉について、欧州産牛肉に対する無関税輸入枠の新設や、子牛肉の関税撤廃を求める。

 加工食品では、日本がTPPで関税引き下げを約束したパスタとチョコレートの関税撤廃をEU側が求め、決着していない。

 一方、日本が重視する欧州の自動車関税(乗用車は現行10%)の撤廃では、実施時期をめぐる対立が続く。日本はEPA発効時の即時撤廃を求めるが、EU側は長期間での段階的な削減・撤廃を主張。EUは自動車関税を「農業分野で日本の譲歩を引き出す取引材料」(交渉筋)としており、着地点を見いだせていない。

 

私たちは、今も着々と記述されている勝者が描く歴史の世界に住んでいて、勝者たちが豊かな生活を送っているのは、彼らが優秀であり、優秀な社会システムを築き上げ、成熟した市民がそれを維持しているからであると思い込まされている。

 

事実は、まったく異なる。

日本がアメリカと対等な条件で貿易協定を結ぶことができないように、かつての宗主国はかつての植民地に対して不平等な条件を突き付け、その結果、たいした努力なしに貿易額を増やし、一人当たりの生産額を高めることができるのである。かつて植民地を持たなかった国についてもEUとしてまとまることで同じ恩恵を受けている。

 

また、言語による支配の効果も大きい。私たちが英語によって情報を得ようとするように、かつての植民地では高等教育は現地の言葉によってではなく宗主国の言葉によって行われ、社会の指導者たちは宗主国に留学し、宗主国の言葉を通じて情報を得る。大衆レベルでもコンテンツがかつての宗主国から提供されてくることで、現地の言語は国内市場しか持たないのに対して、宗主国側にはずっと大きな市場ができあがっているのである。

 

さらに、先の記事で上げられた指標をよくみると、陰謀論を知っている人ならおなじみの奴らによってつくりあげられたものばかりなのである(大学、ノーベル賞、五輪)。その世界で活躍できる人々が、奴らの本拠地で育成されて奴らの作る枠組みの恩恵を受けている人々であるのは当然のことなのだ。

 

こうした記事の嘘を見抜くためにも、私たちは、陰謀論を学ぶ必要があるのだ。

風邪のひきはじめに葛根湯や総合感冒薬は効くか?

新聞見出しというものは、記事をよく読まない読者をあえて誤解させるように書かれているのかもしれない。

風邪のひきはじめに葛根湯は効くか?:朝日新聞デジタル 2012/12/12

結論を言うと、風邪のひきはじめに飲んで風邪の悪化を予防すると証明された薬/いまのところありません。葛根湯でも総合感冒薬でも、あるいは薬を飲まなくても、おそらく大差はありません。つらい症状が出ていない段階では、病院を受診しなくてもかまいません。むしろ、インフルエンザなどの他の病気をうつされるかもしれませんので、あまりお勧めしません。 

この記事も最後まで読むと、葛根湯だけでなく総合感冒薬もまたたいして効かないこと、しかも有意な差ではないものの、総合感冒薬のほうが効果が低いという実験結果が出たことが示され、最終的な結論も、葛根湯に限られていないのである。

 

また、文中では次のように指摘されている。

 葛根湯の効果を厳密に検証するには、対照群には総合感冒薬ではなく、葛根湯と味やにおいがよく似た偽薬を飲んでいただくほうがより望ましいです。しかし、そのような偽薬は作るのが難しいです。かといって、何も薬を飲まない群と比較すると、「何か薬を飲んだから効いたような気がする」という気持ちの影響から結果が偏ります。この研究では、風邪の悪化を自己申告の自覚症状で評価していますのでなおさらです。 

いろいろと調べていくと、実は、この「効いたような気がする」という作用があることのほうが重要視されるべきなのである。

 

無料で、副作用もなく、効果があるのであるから、これ以上素晴らしい風邪薬はないのであるから、そこを軽視していては何ともならないのである。

 

お勧めの本:

脳の神話が崩れるとき

宇宙無限力の活用

医療人類学

アワ歌で元気になる

自己暗示