裸足で過ごした冬
私は家で仕事をしている関係で、
冬でもほぼ裸足のままで過ごすという
実験にこの冬挑戦できた。
おまけに仕事部屋ではエアコンを止めてしまった。
途中まではスリッパを利用しないでいたのだが、
結局断念してスリッパは履くことになった。
それは、たまたまほんの数十分の散歩の際も
裸足にサンダルを履いて出たとき、
あかぎれができてしまったからだ。
最初はトゲがささったのだと思ったのだが、
よくみると親指のしわのところがひび割れていたのだった。
なんと弱い我が肉体かと感じると同時に、
かつてこの地をはだしで歩いていただろう人々の
たくましさに想いを馳せたものである。
(今でもニホンザルははだしで平気だ)。
この実験を通じて思い知ったことは、
動物本来の生き方の厳しさであった。
そうして思い出したのは、未開または原始的という、実は本来的な
暮らし方をしている人々の歩く速度が例外なく速いということだった。
速い速度で歩けるのは、鍛えられる暮らしをしているからであり、
そのような暮らしについていけなければ死が待っているということである。
人類学者たちは、時間に追われる私たちとは異なる、
ゆったりと生きる未開人を知って、私たちのあこがれをかき立てる。
しかし、未開人たちの暮らしはゆったりとしているかもしれないが、
厳しくもあったのである。
そう、そのような厳しさこそが生命を磨き、種を維持するための健全性を保ってきたのだ。あまりにも人工的な環境が拡大し、言語によって惑わされる中で忘れさっていたのが、この事実だったのだ。
少し実験しただけであかぎれのできる私の足は、私がひ弱な文明人であることと、人類が文明を維持し続けていれば、間もなく生命としての健全性を失うであろうことを教えてくれた。