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面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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美濃加茂市長に逆転有罪=浄水設備汚職―名古屋高裁 (時事通信) - Yahoo!ニュース

美濃加茂市長に逆転有罪=浄水設備汚職―名古屋高裁 (時事通信) - Yahoo!ニュース

岐阜県美濃加茂市の雨水浄化設備導入をめぐり現金30万円を受け取ったとして、受託収賄罪などに問われ一審名古屋地裁で無罪となった市長の藤井浩人被告(32)の控訴審判決が28日、名古屋高裁であった。

 村山浩昭裁判長は一審判決を破棄し、懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金30万円を言い渡した。

 「市長に現金を渡した」とする贈賄側供述の信用性をどう判断するかが焦点。一審判決では信用性が否定され、検察側が控訴していた。 

昨日も裁判関係の記事を取り上げた。

この判決も、小沢一郎氏の事件と同じく、実に不可解な判決としかいいようがない。

 

こうして、どう考えても疑問の残る判決が繰り返さえながらまだ、法治主義を信じているとすれば、それは、文明の支配者たちによる価値観の植え付けにまんまとやられているにすぎないのだ。

 

私たちが目指すべきは、法の公平な執行や、司法制度の改革ではなく、巨大組織を作りあげてあらゆるものを独占できる現実を壊していくことなのだ。

 

 

他人の便利にNO!と言いたい

他人の便利にNO!と言いたがる人たち - おのにち

他人が「便利になる」こと、「楽をする」ことは悪いことなのか。
本当にデメリットはあるのでしょうか。何事も昔のままが一番なの?

あなたはどう思われますか? 

農耕は食料確保を便利にしたかもしれないが、人口増加を招き格差社会を作り戦争を生みだした。

穀物は便利な食べ物ではあるが穀物を食べ始めた途端に人は虫歯を作り、顎を弱くし、歯のかみ合わせが合わなくなってしまった。

言葉は便利ではあるが、言葉があるせいで、人は個々に経験から学び、柔軟に対応することを許されず、言葉によって作りあげられた社会に縛られて、一生を誰かの価値観ばかり学んで過ごすようになった。

電気は便利であるかもしれないが、電力を作りだす仕組みはどれも大規模な環境破壊を招いており、もはや行きづまっている。

医療は人を助けてなどおらず、むしろ誰も何のために生きているのかわからない暮らしを作りだしている。

最も大切なことは、人は死ぬ存在であるということを、便利な生活は人々に意識させないようにできあがっているというポイントである。人が機会や労働者+消費者あるいは家畜・ロボットとしてではなく、人として生きることができるのは、便利さとひきかえにあらゆる側面を支配制御される生活などではなく、不便で不足しているが、自然と向き合って体感しながら直接経験から学ぶ生き方しかないのである。

 

 

和歌山毒カレー事件の真相は、林家同様ヒ素を保持していた近所の一家の... - Yahoo!知恵袋

和歌山毒カレー事件の真相は、林家同様ヒ素を保持していた近所の一家の... - Yahoo!知恵袋

河合潤@京都大学です.この数年間,カレーヒ素事件の鑑定書を,研究の一環として解析しています.chiebukuroのこのページのことを知らせてくれた人がありましたのでちょっと書いてみようと思います.学生に手伝ってもらってYahooになんとか登録できました.

最近(2016年9月)も和歌山地裁に意見書を提出したばかりですが,その最後で「私(=河合)の一連の鑑定書・意見書が鑑定を超えて指し示す新たな真実は,不明な動機によって4名を殺害し63名に傷害を負わせた真犯人は,凶器の亜ヒ酸を現在も所持したまま,野放しであるという事実である」と結論しました.

科警研は,カレーに亜ヒ酸を投入したとされる紙コップに付着した亜ヒ酸が,H所持の亜ヒ酸とは組成が異なることを知りながら,化学分析で得られた組成比を100万倍して対数(log)をプロットして同一であるかのように見せかけていたことを『季刊刑事弁護』誌No.85に書きました.100万倍や対数などでごまかさずにプロットすると,紙コップの亜ヒ酸はH所持亜ヒ酸とは明らかに組成が異なることがわかります(末尾のクロアチアの本にカラーの図を掲載しています).『季刊刑事弁護』ではカレーヒ素事件を中心として虚偽や捏造の鑑定書が裁判で横行していること,その見分け方を連載しています.この雑誌は弁護士が読む雑誌です. 

大々的に報道されている事件のほとんどは、この事件同様、真実とはまるでかい離した内容の報道が繰り返されているようだ。警察もまた真実とは違うことを認識していることが多いようでもある。

 

奈良の騒音おばさん舞鶴の女子高生殺人、光市母子殺害事件。事件の報道は、政治における重要な局面から目をそらさせる役割を担っていたり、処罰の強化を狙っていたり、いわゆる善良な市民とどうしようもない人々という把握の仕方を強化させる役割を担っているなどその目的もさまざまではあるようだ。

 

ただひとつ言えることは、決して一般大衆の役に立ってなどおらず、報道によって結局損害を被る側は常に一般大衆の側なのだということである。

 

マスコミが大げさに騒ぎ立て始めたなら、報道の対象となっている内容自体ではなく、何を目的として騒いでいるのかを見極める必要があるのである。

 

 

 

 

国際金融家から見たある歴史作家/暗殺された明治維新の立役者

江戸時代の鎖国中にあっても

キリシタン聖ルカ(千利休)を通じて広めた

キリスト教の儀式(茶の湯)と茶室を利用した

スパイ活動を通じて西洋文明の支配者たちによる

諜報活動は続行されていた。

 

頃合いを見計らって実施されたクーデターが明治維新であり、

藤原政権は倒れて国際金融家たちが実権を握る日本国ができあがったのだ。

 

これにより、人々は徴兵や徴税を課され、

女工哀史蟹工船の世界へと追い込まれた。

また、藩主たちが所有して、村民に比較的自由に利用させていた

山林が私有化されたために、人々は柴や落ち葉、薪を得ることもできなくなった。

(文明とは独占である)

 

このように日本から主権を奪って、

足尾銅山の象徴するような公害を作りだし、

墓標は語る』に描かれたような

若い優秀な日本人を犠牲にし続ける国家が生まれた。

しかし、文学的表現にすぐれた才能を持った一人の男が選ばれて、

この時代を賛美したのであった。誰でも明治維新と言えば思いつく

あの有名な作家である。

こうして明治維新が美化され、

明治が私たち日本国の近代化を実現した

素晴らしい時代であると喧伝されることになった。

 

明治維新の象徴としてこの作家が選んだ男も

その実態は、まったく作家の描写とは程遠かった。

彼はただの操り人形であり、いとも簡単に暗殺されたにすぎなかった。

ただ、文章力に優れた作家の手によって

いつのまにか偉人に祭り上げられてしまったのだった。

ケネディリンカーンのように利用されているのだ)。

 

私もまた、人生の半ば過ぎまでを

騙されたまま過ごしてきたが、

一度気づいてみれば次から次へと事実が見えて来る。

 

どこに、彼らの言う民主主義が成立する余地があるというのだ。

ただただ彼らの経済活動に巻き込まれ、

彼らの提供する価値観に従って生きること以外できない世界じゃないか。

 

しかし、まだ可能性は残っているのは、

彼ら自身もまた生物でしかないという事実があるからだ。

生物として本当に充実感のある生き方は

生物本来の生き方であり、

彼らもそこに暮らしている地球の環境を守るのもまた

生物本来の生き方なのである。

だから、彼らもやはり今の生き方を捨てて

生物本来の生き方に戻るはずなのだ。

 

話がずれた。

あの歴史作家もあの歴史上の人物も

利用された存在であることだけは忘れないでおいて

いただきたいのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水木しげるさん一周忌

2015年11月30日に亡くなられてから間もなく一年が経ちます。

 

水木さんが戦時中にしばしば現地の先住民のところに遊びに行っていて、そのまま現地に残ろうかと思ったほど先住民の生活にほれこんでいたことは知っていましたが、その頃はまだ、今ほど知識を持っていなかったので、このことの重要性を認識していませんでした。

 

かつてと今とでは、私の知識は大きく変わりました。

 

まず、陰謀論*を知ったこと。この視点から文明社会を見ると、規模の大小は問わず、常に支配者がいて、人々を働かせては、富を一人占めしようとしてきた社会が文明社会であるという基本図式を得ることができました。

(*『世界支配者VSライトワーカー』)

 

つぎに、人類学、特に文化人類学*の知識を得たこと。これにより、人の本来の姿は、どこまでも動物に近い姿であることを知りました。動物に近いとは、勤勉労働とは程遠く、楽しく暮らし、無理に命を生きながらえさせようとしない姿です。

(**『子どもの文化人類学』『ピダハン』『森の猟人ピグミー』『アボリジナル』『身体の人類学』 『人間が好き』)

 

つぎに、その視点から宗教を捉えなおしたこと。キリスト教イスラム教、仏教のいずれにしても、宗教が説いている価値観は、人を支配する文明社会の価値観でしかないということがわかりました。このような宗教を信じ込むと人は本来の姿に戻れなくなってしまいます。

 

さらに、人の認知について知ったこと***。薬効成分を含まないプラセボ(偽薬)を薬だと偽って投与された場合、患者の病状が良好に向かってしまうプラセボ効果は、むしろ生物に与えられた有効な能力であると把握し直すことや、気や自己暗示、自己催眠の効用を知ったこと、そのため人にとっては、外界の物理的な条件以上に内的世界のほうが重要性が高いとわかってきました。

(***『脳の神話が崩れるとき』『自己暗示』『催眠法の実際』『宇宙無限力の活用』『アワ歌で元気になる 驚きのコトタマパワー』 )

 

また、死についても学びました****。人にとって死は極めて重要な意味を持ち、死ぬことを前提として生きていくとき、日々を楽しく過ごすことや、先人たちから受けとった、生命の舞台としての地上をそのまま後世の人々に残すことこそが、主体的に生きるということなのだと考えるに至りました。

(****『サバンナの動物親子に学ぶ』『看取り士』『覚醒する心体』『アルピニズムと死』 )

 

さらには、健康や子育てについて調べ*****、人が作る食べ物(農作物・家畜)こそが病気の元であることや、狩猟採集生活こそが最良の子育て環境であることを知りました。

(*****『家畜になった日本人』『愛は化学物質だった!?』『子どもの文化人類学』『医療人類学』『ピダハン』『森に生きる人』)

 

人類はサバンナで誕生したのではなく、森で生まれたのだ*****という視点を得ることもできました。

(『はだかの起原』『モリはまんだら』)

 

こうした知識を得た上で、水木さんの妖怪が精霊信仰を表すものであったことを知り、水木さんが精霊信仰こそがあるべき宗教の姿だと考えておられたことを知って、ジャングルで水木さんが先住民の暮らしにほれ込んだことの重要性をようやく知ったのです。

 

生来のエゴイストでもあるという水木さんが、動物的な生き方をしている先住民と出会い意気投合するのは当然でした。そして、そのような生き方をする上で不可欠だったのが、自然界を生命としてとらえる精霊信仰でした。人間の都合などおかまいなしの思うようにならない生を受け入れるためにも精霊信仰は必要だったことでしょう。

 

元々、妖怪という目に見えない世界の話を好んでいた水木さんが、先住民の精霊信仰の世界を知って魅了されないはずがありません。しかも、相手のセノイ族は、人の本来の生き方である狩猟採集生活を続けていた人々であり、夢の見方を制御したり、夢で意志を伝えたりする、とびっきり高度な精神世界を築いていた人々でもありました。

 

つまり、水木さんがゲゲゲの鬼太郎などを通じて私たちに伝えてくれていたのは、人の本来の生き方をしている人々から学んだ、あるべき宗教の姿だったのでした。

 

私たちをこのあるべき姿から遠ざけてきたのが、農耕であり、文明であり、そこに発達してきた宗教でした。私たちは、精霊の世界から遠ざけられ、貨幣経済を拡大させるために一生利用される存在になっています。水木さんご自身は、陰謀論や文明の支配者という視点を持っておられず、したがって文明と精霊信仰は共存できると考えておられるようです(だからこそマスコミに取り上げられもするのでしょう)。しかし、事実は違います。文明の支配者がいて、私たちからより多く搾取しようとしている限り、精霊信仰が復活することはありません。

 

水木さんは、「物を持たない、物に執着しない、というのが精霊に好かれる条件なのだ」とおっしゃっています。精霊に好かれる生き方をするということ、それは、生命の舞台を損わない生き方をするということでもあると思います。私は皆さんに精霊信仰を広めていきたいと思っています。何も、いかがわしい話ではありません。もし目に見えないけれども木の陰や水の暗がりに精霊がいるとすれば、そのような精霊に好かれる生き方とはどのような生き方なのかを日々考えながら生きることでよいと考えています。

 

皆が精霊信仰になれば、この文明社会に支配者が存在していることがあからさまになると私は考えています。この記事をきっかけに、人の本来の生き方や、精霊信仰というあり方に興味を持っていただけたらと思います。

 

水木さんの本:『水木サンと妖怪たち: 見えないけれど、そこにいる

 

 

 

長野の限界集落で大麻=所持容疑で22人逮捕―麻薬取締部 (時事通信) - Yahoo!ニュース

長野の限界集落で大麻=所持容疑で22人逮捕―麻薬取締部 (時事通信) - Yahoo!ニュース 2016/11/15

関東信越厚生局麻薬取締部などは25日までに、神奈川、長野両県警と合同で、長野県大町市と同県池田町の限界集落に住んでいた27~64歳の男女22人が大麻を隠し持っていたなどとして、いずれも大麻取締法違反容疑で逮捕した。 

 

大麻などというものは、アルコールやパチンコと比べたら、有用性が高く、有害性は低いはずなのだが、文明の支配者たちの道具でしかないマスコミは定期的に大麻を悪者にして報道することを要求されているわけですよ。

 

人が本来の暮らしを続けていた間、人は野山で採取できる薬草をおおいに利用していたわけで、それは人に限らず、動物たちにも見られる行動なわけです。

 

国家やマスコミというものが、人の本来の暮らしを奪っている一例として扱うことのできる報道でしょう。

 

ヘンプ読本

 

動物たちの自然健康法

 

 

 

飼い猫が増える

diary.uedakeita.net

 

我が家にも飼い猫が4匹いる。だから、この記事は大変よくわかるのである。

 

我が家の場合は、最初の一匹と4匹目が拾い猫、残りの2匹は最初の一匹の子どもなので、他猫どうしともまた事情が違うのである。

 

ちなみに我が家はメス2歳半、このメス猫の息子にあたるオス猫たち1歳3カ月(3兄弟のうちの2匹で1匹は里子に行った)、後で加わったこの家族とは血縁関係のないメス6か月の組み合わせになっている。息子たちの父親はわからないが、同腹の兄弟でありながら異父兄弟なのではないかと見ている。

 

1匹目はこの記事と同じように、我が家を劇的に変化させたことは間違いない。我が家は子どものいない夫婦なので、ちょうど子どものように感じながら育てたものだった。今でも、他の猫たちと違って、猫と人間の間の存在のように感じることがあるくらいである。畑正憲氏と愛犬グルの関係を思い出したことである。

 

それに対して息子猫たちは、母猫まかせにしていたことや、いずれ里子に出すつもりだったこともあり、あまり積極的に関わっていなかったこともあり、今でもわりとそっけないのである。そんな中、親子の関わり方を見ていると、ちまたのデータよりもずっと長く授乳を続けていることや、きっぱりと卒乳するというよりは母猫が拒否する頻度が高くなってゆっくり卒乳していくことなど発見が多いのである。何より、ずっと人間側にいた親猫が、息子たちの成長によって、猫らしくなったことに驚かされたのである。

 

こんな親子の生活に加わったのは当時生後2か月ほどだったメスの子猫だったのである。子猫に反応したのが親猫で、とにかく縄張りによそ者が入り込んできたとい感じで子猫を追いかけ、攻撃していたのである。しかし、よくしたもので、長く一緒にいるうちにだんだんと子猫の存在を受け入れていくのである。

 

息子猫の一匹などは、もう将来のお嫁さんだというように、一緒に寝たり、疑似交尾(相手はまだ子どもなのに)をしたりして仲良くなっているのである。息子猫のもう一匹のほうは、この二匹が一緒に寝ているところに加わってみても、いつの間にか一匹になってしまって少しさみしそうなのである。母猫もまた、別の場所に一匹で寝ていたり、あぶれた方の息子と寝ていたりして、微妙に疎外されていたりするのである。

 

メス子猫は小さいだけでなく、他の猫たちとは違う柔らかさがあってこれまた驚かされるのである。他の猫たちは、あおむけにさせようとすれば逃げていってしまうが、この子だけは喜んでされるままにしているのである。声も小さく、体もふにゃふにゃしているうえに毛も細いから、先住猫たちとはまるで違う生物のようなのである。

 

こうして、猫屋敷化が進んでいくのだが、とにかくもう少ししたらメスネコの避妊手術をしないと大変なことになってしまうのである。

 

 

 

猫になった山猫