『血液の闇』 献血は行うべきか・輸血は必要か
輸血に積極的に関わる善意の人々に関するニュースが定期的に流される。
しかし、医療関係者であればおそらく輸血の矛盾に気づかない人はいないだろう。
・赤十字による一括管理。
・輸血後の患者急変の多さ。
・不要と思われるケースの多さ。
・無駄になるケースの多さ。
輸血による副作用の頻度については、次のようなデータがある。
項目 |
頻度 |
アレルギー、蕁麻疹、発熱 |
1/10~1/100 |
溶血反応 |
1/1000~1/10000 |
低血圧反応 |
1/10万~1/50万 |
輸血後肝炎 (主にC型、ごく稀にB型) |
1/500~1/2000 |
1万~2万 |
|
輸血後エイズ |
1/100万 |
このデータを鵜呑みにすれば輸血による死亡の危険性は低いと考えるかもしれないが、統計データには歪曲がつきものである。
輸血が行われる場面として多いのは、悪性新生物29.3%、血液および造血器12.4%、循環器系13.5%などとなっており、不詳が23.5%ある。
輸血がどんなときに必要なのかといえば、次のように説明されている。
輸血は、血液の病気のために正常に血液が産生されない場合や、大量に出血して血液量が減った場合、貧血により酸素を体の組織へ運べなくなった場合、手術中に出血した場合などに行われます。また、血液成分が不足し、輸血以外の治療法で効果が得られないときに、最後の手段として身体の機能を維持するために行います。
実は、その多くが末期的な症状によって、貧血や大量出血が起きているときを対象としており、輸血の効果を期待できるような場面はごく限られているのではないかと私は見ている。医療現場で働く人々であれば事実を知っておられるだろう。
こうして、献血が足りないといいながら、ほとんど気休めのような目的で輸血が行われ、その裏で巨額の利益が生み出されているのではないだろうか。
増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ルールメーキング論入門 (ディスカヴァー携書)
人類学を学ぶことは、現代とは別の価値基準を持って社会を作りあげてきた人々の価値観を知ることである。そこから見えてくるのは、人口増加をどう抑えるのか、環境破壊をどう防ぐのか、周辺の事なる言語を話す人々とどう付き合っていくのかという課題に取り組んできた人々の知恵である。
『平等と不平等をめぐる人類学的研究』には、明治期以前の日本の土地所有は、総有であったとという事実が指摘されている。総有とは「農業―漁業共同体に属するとみなされる土地(牧場・森林・河川・水流等)をその構成員が共同体の内部規範により共同利用するとともに、同時に共同体自身がその構成員の変動をこえて同一性を保つつうその土地に対し支配権を持つところの、共同所有形態)」と一般に定義されている共同所有の形態である。つまり、私有地であっても勝手に売ることはできず、村の人々の同意が必要であったというのである。
明治以降の工業化の時代に、土地の総有を認めない民法の規定は重要であった。住民たちがいかに反対しようと、所有者が賛同すればそれでよかった。所有者も反対するとなれば、今度は法を作り変えて土地を手放さざるを得なくするだけのことであった。
私が別のところに書いた記事、トヨタも東電もMicrosoftもGoogleも、「支配者」の意図の下で育つ - 毎日出てゐる青い空もほぼ同じ内容の指摘になるのだが、ルールを作ってしまえばどうとでもなるのが私たち人類の暮らしている社会である。
この社会に生きる上で常に意識すべきことは、ルールに従うことではなく、誰がどのような意図でこのルールを作っているのかに目を向けることなのである。また、私たち自身がルールを作る側を目指すことである。
現代社会は、マスコミや学校教育を通じて価値観を押しつけ、金のあるものが勝つように裁判制度、経済システム、医療制度などあらゆるものが作りあげられている。ルールを受け入れ、従い続ける限り、私たちは主体的になどなれないのである。
進む日本のグアム・ハワイ化
1年で永住権 年度内にも実施 | 2017/1/18(水) 8:38 - Yahoo!ニュース
外国人の永住許可は、原則として連続10年の在留期間が必要だ。ただし、法務省は2012年から、専門知識や技術力、学歴、職歴、年収などをポイントに換算する「高度人材ポイント制」を導入し、70点以上の外国人を「高度人材」と認定して「在留5年」に短縮している。
今回の制度改正は、70点以上の外国人を「3年」に短縮し、80点以上の特に優秀な人材を「1年」に短くする。制度が導入された12年から16年10月末まで、高度人材と認定された外国人は6298人おり、このうち80点以上の人材は4割近いとみられる。
また、ベンチャー(新興企業)の起業など、1億円以上の高額投資を行う事業家などを加算ポイントの対象に加える方向だ。
かつて王国として憲法を制定していたハワイがアメリカに組み込まれていった歴史を御存知だろうか。
ひど過ぎるハワイ併合の歴史【民主主義の侵略】 - NAVER まとめ
1840年には、大日本帝国憲法よりも50年先行して憲法が制定され。国際的にも独立国家として商人されていいました。
悲劇の始まりは、アメリカ合衆国の移民を受け入れてしまったことでした。
移民たちはサトウキビ栽培や輸出で経済力を付け、政治に口を出し始めました。
そして1887年「ハワイ連盟」を名乗って武装蜂起し、新憲法を受け入れさせました。
こうして、王制は廃止され、白人優遇の「民主主義」が誕生しました。
グアム島もまた先住民を人とも思わないキリスト教徒たちによって奪われた土地である。
太平洋のマリアナ諸島の島。1521年、マゼランが到達。1898年の米西戦争でアメリカ領となる。太平洋戦争では激戦地となった。
太平洋のマリアナ諸島の中心となる島。世界周航中のマゼラン船団が、1521年に来航した。マゼランと乗組員はグアム島に上陸したが、分たちのボートを一隻盗まれたことへの報復として50軒の家を焼き払い、7人の島民を殺している。
1565年にはレガスピ艦隊が来航して、スペイン領であることを宣言した。1668年から本格的なスペインの植民地経営が始まり、宣教師による強制的なカトリックへの改宗が進められた。島の伝統的な習慣を無視した布教は島民チャモロ人の反発を受け、1670年から95年にかけて「スペイン=チャモロ戦争」という反乱が起き、スペインはそれを武力で弾圧した。
スペイン=チャモロ戦争
(引用)先住民のチャモロ人たちは、宣教師らの熱狂的だが一方的価値観にかたまった野望にもかかわらず、はじめは無邪気に歓迎し、華やかで珍しい洗礼の儀式もおもしろくて、最初の一年間だけでも1万3千人が入信した。……しかし先住民を基本的に野蛮人としか見ていない宣教師たちは、伝統的チャモロ社会の風俗習慣を急激にキリスト教式に変えていった。……サイパン島やテニアン島などにも武力をともなう布教をひろげてゆき、もはや反乱は何かのきっかけさえあれば起きる状況となった。(その後、1672年に「親の反対を無視して赤ん坊に強引な洗礼をやった」宣教師が殺され、スペインは報復を始める。)報復は報復を呼び、戦乱はマリアナ全島に拡大して「スペイン=チャモロ戦争」となった。だが、マゼランのころより長足の進歩を遂げている火器の前に、グアム島の村は全家屋を焼きつくし、ほとんどの住民を殺しつくすという「三光」作戦的残酷戦術によってほろぼされてゆく。……1680年に赴任してきたキロガ総督は、ヨーロッパの戦場できたえいた兵術と最新兵器でグアムを地獄の島と化し、さらに逃亡者を追ってロタ島など北方の島々にも虐殺遠征隊軍をくりだした。彼の統治下の2年間だけで、チャモロ人口は4万人から5千人に激減する。<本多勝一『マゼランが来た』1989 朝日新聞社 p.176-180>
アメリカによる併合
その後スペイン支配が続いたが、19世紀後半になってアメリカ帝国主義が太平洋の分割に乗り出し、1898年の米西戦争の結果として締結されたパリ条約によってアメリカ合衆国領となった。太平洋戦争中は日本が占領し、激戦地となった。現在もサイパン島とともにアメリカ領で、海軍基地が置かれており、またリゾート地として観光客を集めている。
観光客を積極的に誘致し、永住権を取得しやすくしていくことの背景には、そうしなけえば虐殺されてしまうという恐ろしい事実が存在していることを私たち先住民は肝に命じておかなければならないのである。
「「ワクチン危険!じゃないんだ」は危険」
ナチュラル系育児をよしとして予防接種を受けてこなかったが、「ワクチン危険!じゃないんだ」と気づいて中学生の娘に計画的に予防接種を受けさせているという記事を読んだ。
私は、人類学の知識を踏まえて「「ワクチン危険!じゃないんだ」は危険」であることを指摘しておきたい。
人類学の中でも狩猟採集社会を中心に扱っていると、多くの狩猟採集者たちが平等社会を実現していることに気づく。狩猟採集社会には富の蓄積がないから当然だとする見方は否定され、平等性を維持するための仕組みが作られているからこそ平等性が確保されているのだということがわかってきている(『平等と不平等をめぐる人類学的研究』)。
腕の良い男から他のメンバーへという一方的な贈与ばかりが発生していては依存関係が生まれてしまうから、採集した植物資源や、加工した料理の再配分を通じて、一方的な贈与になることが避けられているというのである。
このことからわかるのは、私たちは人の善意をあてにしたシステムを採用すべきではないという事実である。善意を前提としてシステムを作りあげると、そこを基点としてシステムは崩壊してしまうのである。
平等性の高い社会を作るには、それを担保する仕組みが必要であり、善意にまかせておくことはできないのである。
さて、ワクチン接種について考えてみよう。私たちは、ワクチンの危険性について確認するすべを持っておらず、ワクチンが安全であるかどうかを提供者側の善意に依存している。
「ワクチンによる副反応によって、重症になったり、死亡した赤ちゃんや子供の件数は、本当のデーターが公表されていない」のである。
秘密にすることができるようなシステムのままにしてあるということが何を意味しているのかは、狩猟採集者たちであればあっさりと見抜いてしまうのである。
「親の暮らしは豊かだが、子の新規参入は困難だ。ならば親と暮らそう。」とニホンカモシカやオオカミは言った。
ニホンカモシカの母親は、一年に一度子を生む。そして、次の子が生まれる前に前の年に生まれた子をなわばりから追い出してしまう。しかし、食糧が豊かな年には、そのまま居座らせることがあり、三頭の子が母親と一緒に暮らしていることもあるのである。(『野生のカモシカ』)食糧が豊かであれば、さっさと子を追いだして新しいなわばりを見つけさせればよさそうなものなのだが、実際には逆になっている。
オオカミの群れも不思議である。オオカミは両親と子どもたちによる群れを作ることが一般的だが、獲物が豊富になると、おそらくはニホンカモシカと同じような事情で群れに含まれる個体の数が多くなるのだ。この場合、20頭もの群れの中で繁殖を行うのは1組のペアだけとなる。獲物が豊富だからどんどん増えようというのではなく、かえって繁殖行動が抑制されているように見えるのである。
親のなわばりから追い出された子たちは、すでに他の個体のなわばりによってほとんど埋め尽くされた土地で、新しいなわばりを得る闘いを強いられる。幸運にも持ち主がいなくなったなわばりを見つけるか、弱い相手と戦って勝てば生き延びることができるが、多くの個体は闘いに破れて死んでいくことになるだろう。エサが多いからといってなわばりの数が増えるのではなく、なわばりの中の個体の密度を上げることで無駄死にを避けているように見えるのだ。
このことを二ートの増加と結び付けて考えてみると、一つの仮説が浮かび上がる。私たちの社会は、労働人口の多くが第一次産業に従事していた状態から、第二次および第三次産業に従事する状態へと変化する中で、概ね求人倍率の高い状態が続き金銭的余裕も生まれていった。しかし、なわばりの数が飽和するように求人倍率が下がる中で、親の世代は以前の状況を引きずって比較的金銭的に余裕を持っていた。このため親たちは、子を無駄死にさせるよりも自分のなわばりの中に留まることを許した。これが二ートの増加であった。このように考えられるのである。
なわばりについて調べてみると、鮎の場合は、個体の密度が高すぎると縄張りを持つことを諦めて群れ鮎として過ごす個体の割合が増えるなど、さまざまな要因がからみあっており、単純に説明することはできないようである。しかし、動物たちと私たちは、まったく同じ力学に従って行動を変えているように見えるのだ。
お勧めの2017年カレンダー 山と渓谷社 七十二候めくり
本音を言えば、カレンダーなど必要のない世界で暮らしたいのですが、そうもいかないので、日付に縛られた生活を2017年も送ることになりそうです。
そんなわけで、日々の生活を彩ってくれそうなカレンダーを探しに行ってきました。
そこで気に入ったのがこのカレンダーでした。日頃から好感を持っていた山と渓谷社から出ています。
七十二候めくりなので、5日に1枚めくることになります。
七十二候 今日は何の日〜毎日が記念日〜には、七十二候が次のように解説されています。
二十四節気は半月ごとの季節の変化を示しますが、これをさらに5日ずつにわけて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候で、これも古代中国で作られました。古代のものがそのまま使われている二十四節気に対し、七十二候の名称は何度も変更されています。日本でも、日本の気候風土に合うように何度か改訂されました。1874(明治7)年の「略本暦」では、それまでと大幅に異なる七十二候が掲載され、現在ではこの七十二候がつかわれています。
日本の気候風土に合うように改訂が重ねられているだけあって、季節の移り変わりを確かに感じることのできる内容になっています。
このカレンダーを検討していて特に気に入ったのは、収録されている写真が七十二候に記された内容にできるだけ忠実な、さわやかな自然とそこで営まれる実直な暮らしを思わせる写真であることでした。5日に1回ページをめくるたびに、このような写真と出会うことのできる一年間を想像して、購入を決めました。
2016年版も出ていたようでしたが昨年は気づいておらず購入できませんでした。始めて利用するのでまだ暫定にはなりますが、お勧めしたい商品です。人の本来の生き方を思い出すために、まず季節感を感じながら暮らしてみませんか?