book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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今、お勧めの本:『動物たちの自然健康法』/『風土病との闘い』

現時点でお手頃価格で入手可能な古本をご紹介します。

古本という性質上、すぐに価格は変動します。

購入は自己責任にてお願いします。

 

1. 『動物たちの自然健康法』

動物の神話のなかで捨てることができるのは、「動物はどの植物がどの病気に効くかまちがいなく知っている」というものである。 熟練した薬剤師のように特定の病気にたいして特定の療法を選ぶ動物がいるという証拠はほとんどない。 チンパンジーが内部寄生虫の不快をとりのぞくためにつかう毛のはえた葉は三四種にものぼることや、ホシムクドリが巣に運びこむ香りのある植物は個体群によって多種多様であること、 また哺乳類が皮膚をこするのにつかう植物の種類が多いことをみれば、動物が経験にもとづいておおまかに柔軟にみずからを治療していることがわかる。 - 290ページ

動物が利用する多くの薬物に共通する特徴は多機能性である。 つまりひとつの薬物にいろいろな薬効があるのだ。 健康を脅かすものはあらゆる方向から、さまざまな原因から、しかもしばしば同時にやってくるので、作用範囲の広い治療法をもつほうが有利である。 たとえば、土食は胃酸のバランスを整え、腸の内側をおおって保護し、食物といっしょに体内にはいった毒物を吸着し、そのうえ必須ミネラルを提供する。 ある動物にとってどの時期にどの働きがいちばん重要なのかは、かならずしもはっきりしない。 - 291ページ

動物たちが私たちと同じように健康維持のために草花やミネラルを利用しているということや、超能力的な感覚によってではなく試し試し使っていることを知ると、本来の薬の有り方、動物と人の境界のなさなど新しい見え方がしてきます。

 

 

 2. 『風土病との闘い』

書評 『日本の風土病―病魔になやむ僻地の実態』を新書用に再編集した内容であると思われます。ヒトは生物として生きる限り、不都合な病気や寄生虫を排除するのではなく、共存していくしかないかもしれないという視点から読みたい本としてお勧めします。

「ブユの被害」
私の知っている外科のお医者さんで、東京の高級住宅地に開業している人が、、「九月になると門前市をなすよ」といっていた。 軽井沢、蓼品、上高地志賀高原と避暑にいっていた人たちが、できものをたくさんつくり、なかには化膿がすすんで切開手術を要するものもある。
(中略)
こうした場所の地元の人たちが毎日ブユに刺されて同じようなことになったらたまらないが、よくしたことにブユにはたいてい免疫ができる。 - 156ページ

幼少期に免疫を作ることで、多くの害虫は我慢できるようになるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

命の重み

神宮外苑火災「白熱電球使った」 LEDだけの予定変更:朝日新聞デジタル 

 火災は6日午後5時15分ごろ発生。日本工業大学の学生らが作った木製のジャングルジムのようなアート作品が燃え、遊んでいた東京都港区の幼稚園児、佐伯健仁(けんと)君(5)が死亡し、父親(44)らがけがをした。 

まだ幼い子どもの死は、この作品を作った学生の人生にどのような影響を与えることになるのだろうか。警察の取り調べ室で、学生はどのような受け答えをしているのだろうか。

 

 

どんなに悔やんでみても、失われた命が復活することはない。それを思えば、この事件に関係する誰もが、深い悲しみに包まれているだろうと思う。

 

 

 

 

 

子どもを楽しませるはずのイベントで命を落とした我が子のことを思い、親は、自分を責めてみたり、現実のことと受け入れることができなかったりしていることだろう。子どものいない私には想像のしようもない。

 

 

 

 

まずは、哀悼の意を表しておきたい。

 

 

 

 

 

 

けれども、狩猟採集生活こそがヒトの本来の生き方なのだと考えるようになった私には別の世界も見えてきている。

 

 

 

人の死は、遅かれ早かれやって来る。むしろ人生の途上で死ぬことが当たり前で、老人になるまで生きることは稀である。老人まで生きたならば、いつまでも生にしがみついていないで、いずれ自ら死ぬ時期を選んでいかなくてはいけない。そんな暮らしの中で、人々は死を十分悲しんだ後はできるだけ早く忘れさって生きることに集中していく。そうでなければ、人生をただ悲しく苦しく送るだけになってしまう。

 

 

本来の生き方をしてきた人々は、命を大切にしすぎて、あれもこれも禁止していくのではなく、日々を生きる中で、死が突然やって来ることもまた当然のこととして扱っている。

 

 

そんな社会は、肉親の死からの回復を早めるように仕組みもできている。多くの人が多くの子を亡くし、子のできない夫婦にも養子縁組が当たり前であったりする。人々はエゴイストではあるが、狩猟や娯楽を共有することでつながりあってもいる。我が子でなくとも近親者の子を我が子同然に可愛がることができもする。また、日々の食料を得るために体を動かす暮らしは、沈みがちな心を元気づけてもくれる。

 

 

 

私たちの不幸は一つの死が重みを持ちすぎ、一つの死によって受ける影響が重すぎ、個人が重みを持ちすぎている世界に組み込まれたことにあるのかもしれないのだ。

 

 

人の本来の暮らしの中では、人ははかない存在であると正しく認識されており、このはかなさを前提として人々は日々を楽しんでいたことを私たちは思い出すべきなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ドコモ、iモードケータイの出荷を2016年内に終了」

ドコモ、iモードケータイの出荷を2016年内に終了へ 以後は“在庫限り” (ITmedia Mobile) - Yahoo!ニュース 2016/11/2記事

NTTドコモは11月2日、同社のネット接続サービス「iモード」に対応する携帯電話(iモードケータイ)の出荷を2016年12月までをめどに終了することを明らかにした。出荷終了後は、在庫限りの販売となる。ただし、iモードに対応する「らくらくホン」については、当面の間出荷を継続する。

 

マイケル・ジャクソンが残した言葉をついおとつい知りました。

so many mean-spirited, evil people are on top of the world and doing well and people love them, no matter how evil they are.(卑劣で、悪魔のような者たちが世界に君臨してうまくやっていて、ひどく邪悪であろうと人々から好かれているのです)

 この記事と無関係な言葉だと思いますか。

 

私たちがスマートフォンを好きなのは、それを作りだしたのが邪悪な人々だからなのではないでしょうか。

 

NTTドコモの株主は誰でしょう。そもそも株式会社という仕組みは誰が考えだしたのでしょう。

 

まだ1700万台も使われているガラケーの生産をどうしてこんなにも早く終了しなければいけないのでしょう。

 

スマートフォンが普及して利益を得るのは誰でしょう。月々の支払いを間違いなく徴収できる通信会社は、邪悪な人々にとって実に好都合な資産なのかもしれません。

 

スマートフォンの位置情報を利用すれば、国民の監視が簡単なのでGPS搭載が義務付けされているというほは本当でしょうか。

 

介護福祉士として働いているとすれば、手取り15万円ほどの生活の中で毎月6000円を支払うことになる。その上、田舎なら車は必須だ。

 

私たちは何のために生きているのでしょう。

 

私たちが、ありがたい、便利だ、好きだと感じている「商品」は本当に私たちのためになっているのでしょうか。

 

 

本当の生き方を知ったとき、私たちはマイケル ジャクソンの言葉を重さを知ることになるでしょう。

 

思い出そう―森で生まれた私たち

 

派遣切りされた無職の苦悩

国は、派遣切りされた30歳無職を本気で殺しにかかってきている件。 - 30歳からの敗者復活戦 2016-11-03

このような若者を「自己責任」で片付けてしまう世間の空気。

国は、なぜ、このような若者をもっと支援しないのか?

例えば、一人暮らしをしていて、フルタイムで働いてなお給料水準が低い人は、

住居手当として月にいくらか支援してもいいのではないでしょうか。

しかし、このような手当は実現困難なように思います。

それは、今の若者の現状を理解していないと思われる人達が日本の人口の大半を占める団塊世代、高齢者だからです

この方々はこう言い放つでしょう。

学生の頃ちゃんと勉強して、新卒でいい会社に入って働き続けなかったのが悪い。

自己責任だ。

っと。

もちろん、それは重々承知です。

しかし、30代であればまだまだ人生長いです。

再チャンスできるような制度をもっともうけてもいいのではないでしょうか。

 

 人の本来の生き方を探っていくと、人は限られた資源を分け合って生きていくしかないという前提条件がある限り、動物たちと変わらない存在であることがわかります。

 

どんなに農耕を頑張ってみても飢えをなくすこともできなければ、どんなに医療を進歩させても死をなくすこともできません。

 

むしろ、そのどうにもならないことをどうにかしようとして、今のような絶望的な状況を招いてしまったということが見えてきます。

 

人の本来の生き方は、チンパンジーやゴリラとどうように一定のテリトリー内を移動しながら食料を得て暮らす生き方です。定住化の強制によってほとんど失われましたが、まだわずかにそのような生活を続ける人々、遊動する狩猟採集者たちが残っています。

 

狩猟採集社会と定住社会の違いを見ると、狩猟採集社会では本当の自己責任があります。群れについていけなくなれば人生を終えるしかないですし、知恵や技術をみがかないでいれば、食料を得られなかったり危険を避けられなかったりして死んでしまいます。

 

一方、現代社会では、一部の者は法や制度に守られて手厚い介護を受けたり、裕福な暮らしを送ったりできます。ここには自己責任はありません。ただ、社会の仕組みを作りあげ、法を守らせる側に生まれたかどうかによって絶対的に有利に生きるものと、努力を重ねていっても次第に窮屈な境遇に追いやられるそのた大多数とに分かれているだけです。

 

その意味で「自己責任」を言う側は、同じように大多数の側に属しながらなんとかわずかに有利な立場を得ることができただけの者たちであると言えます。

 

福祉や法律が私たちを守ってくれるのではなく、福祉や法律があるせいで私たちは自主独立した本来の生き方ができなくなっていると知ることが、幸せへの第一歩だと私は考えます。

 

 

 

ナチス風衣装とユダヤ人

www.buzzfeed.com 2016/11/01

 

真実はどこにあるのだろうか。

芸能界をフランチャイズ化したようなAKB48

才能のある若手ミュージシャンを取り込むが、売れるように改造してしまうソニー

現代社会を牛耳っていると言われるユダヤ人。

 

この記事に登場するのは、個人や団体に圧力をかけることのできる集団ばかりだ。

 

中でもユダヤ人について言えば、少しでも否定的な発言をすれば、確実かつ有効性を持って社会的制裁を与えてくる集団として存在しているというべきだろう。

 

 

このような集団が登場する背景がどこにあるのかを追求していくと、人は動物なのだという揺らがない事実に突き当たる。動物たちは快を求め、生殖を重ねて生きている。ただ、肉体や環境といった制限があるために、動物たちはその生き方を大きく変えることはない。

 

人間は違う。言葉を使って脅したり、資源を独占したりして、本来の遊動する大型霊長類としての暮らしを変えてしまう。しかし、本質はどこまでも動物なのである。こうして動物としての人類が、言葉を使い、資源の所有を正当化していった姿が現在なのである。そこにあるのは、民主主義や助け合い、人格の完成といったまやかしではなく、そのような言葉で人々の思考を縛りながら、動物の本能そのままに世界を支配していこうという欲望なのだ。

 

私たちは、「正しい」言葉に従うのではなく、私たちの中の動物を活躍させすぎない生き方、すなわち、散在する資源を求めて遊動するような生き方を目指すことによってしか、こんな現状を脱却できない存在なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一生分の本あげます。

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読書人なら116万ポイントなんて、1年で使い切りますよね。。。(そんなに本を買うことはありません) 

 

Amazon一人勝ちと現代社会 - book_rubyring’s blogで昨日も書いたように、日本国内の企業に少しでもがんばってほしいので、あからさまですが、ここで応援させていただきます。

 

 

 

 

 

もし、潤沢な資金があったら、購入をお勧めする本を並べておきます。どうして、時代が下がるほど幸福感が薄れていくのか、その原因を示唆してくれる本ばかりです。

 

ピダハン

逝きし世の面影

略奪者のロジック

偽情報退散!マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている

虫はごちそう

 

 厳しい自然の中で生きることは、それだけで大きな喜びなのだということを私はだんだんと知ってきました。

 

 

猫の尻尾

子猫はとても遊び好きで、

隙を見せれば遊んでくれと言ってくる。

 

こんなとき、自分にも猫のように尻尾があればいいなと思う。

 

仕事をしながらでも、

子猫をあやすことができるから。

 

 

 

 

江戸時代の日本の猫は、尻尾の短いものが多く、

浮世絵にも描かれていれば、*1

黒船が帰るときに土産物にもされたそうです。*2

 

猫になった山猫

犬たちの明治維新 ポチの誕生