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book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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戸塚ヨットスクールの“体罰教育”を支持する石原慎太郎ら右派論客のグロテスクな狙い

今度は3歳児に暴力! 戸塚ヨットスクールの“体罰教育”を支持する石原慎太郎ら右派論客のグロテスクな狙い|LITERA/リテラ  2016/10/21記事

出所後も持論を曲げていない戸塚氏だが、今回、東海テレビが密着した特集VTRのなかでも、男児(4歳)を背後から抱きかかえて海に放り投げたり、男児(3歳)の頭や顔を手で叩く模様が映されていた。その放送の一部がネットニュースに取り上げられ「幼児虐待だ!」と批判の声が上がり、ツイッターを中心に、管轄の役所や警察署に「通報」する動きが出てきたのである。 

戸塚さんの本『私が直す』が無償で公開されていたので読んだ。家族に問題がある上に生命力を感じることも難しくなっている現代社会で、問題を抱えた子どもたち生命力を思い出す効果は確実にあるということと、戸塚ヨットスクールに行ったことがきっかけで死ななかったとしても、そのままだったら本人の未来は明るくなかっただろうということでした。

 

ニートが生活保護で楽チン生活は可能?リアルな答え教えます|JOOY [ジョーイ] 2016/9/30記事

ニート生活保護は、2chでは定番のスレ。大体、「ゴミ・クズ・死ね」発言で荒れています。ハートの強い方は、のぞいてみてください。つまるところ、「ニート生活保護ねらってますけど、何か問題でも!?」的な発言は、一般的に共感を得られることはなく、いわゆるフルボッコですね。では、ニートを持つ親は我が子をどう思っているかというと、かなり弱気でなおかつ楽観的。「働かざる者食うべからず!」と追い出すことはなく、揉めたくないから放置する傾向が。「そのうち働くようになるかも知れないし、このままでも老後の面倒をみてもらえるんだから、まあアリ」なんて考えもあったりして。


ですが、老親の年金で生活していた中高年ニートが、生活苦・介護病み・介護放棄で親を殺してしまう、死体遺棄してしまう、無理心中なんて悲惨な事件が頻発しているのが現実。親の側も、楽観視しすぎているってこと。というより勘違い!?だって家事やら介護やらやってくれる無業者なら、家事手伝いや主夫であって、そもそもニートとは呼びませんからwwww

 

実際、戸塚ヨットスクールに行ってよかったという卒業生もいるようです。

 

卒業生が語る戸塚ヨットスクールと私

今でこそ、充実した毎日を送っていますが、ふと、もしヨットスクールに行ってなかったら、登校拒否はもっと悪化して家族にとんでもない迷惑をかけていたかもしれないと考えることがあります。そういう意味でも、戸塚ヨットスクールは貴重な場所であり、私の甘えを吹き飛ばしてくれた感謝する環境だったと思います。(岡村加奈子さん 大阪府・24歳)

 

現在は保険代理店に勤めていますが、10年前の経験が大いに役立っていると確信しています。もし、自分の子供が僕と同様のケースに陥ったときには、迷うことなく戸塚ヨットスクールに入れると思います。それだけの効果があることは僕自身、肌で体験したことですから、必ず直してくれるものと信じています。(矢野光昇さん 愛知県・25歳)

豊洲と石原慎太郎の責任というか何というか - book_rubyring’s blogで書いたように、石原慎太郎を私はまったく評価していませんし、体罰を肯定もしません。ですがリテラの記事に参道もできません。

 

というのは、どれも本当ではないと考えるからです。

 

ヒトの本来のあり方を研究するようになって驚いたのですが、元々、子育てに暴力は介在していなかったようです。日本の江戸時代、本来的な暮らしをしているびとチンパンジーなど、暴力で子育てをしている人はいません。

 

代わりに、子どもを十分に甘えさせ、しかし、過保護になるのでもなく、見守ります。子どもは大人の真似をしながら自分で自分を教育して育ちます。子どもは生命力を失わず、いろいろな体験から自分自身の体と心の特徴を知って生き、たくましくなっていきます。そのためには多少の危険はつきものですし、不注意や過信から命を落とすことも考えられます。

 

リテラの記事にある価値観には、子どもたちから生命力を奪っているのは、こんな社会を作ってしまった私たちなのではないかという視点も、耳障りのよい言葉ばかりを並べていては生命の本来のあり方を隠してしまうのだという反省もないと考えます。

 

生命の本来のあり方は、戸塚ヨットスクールでもリテラでもなく、今に生きる中で、死を恐れすぎず、大切にもしすぎずないことで、適宜死んでいかなくてはうまくいかないという生命の法則に従って生きることであると私は考えます。