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『ヒトと文明: 狩猟採集民から現代を見る』の書評をマイニングする

 本は実際に読んでみないと、何が書かれているのか、どのような論調なのかわかりにくいところがあります。そんなあなたのお役に立てればと思い、このブログを作ってあります。 今回は『ヒトと文明: 狩猟採集民から現代を見る』を取り上げます。下の図をご覧ください。書評や感想をテキストマイニングしたものです。

  

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 「ヒト」「文明」「人類学」という書名と著者の専門領域は特徴的ですが、意外なことに「狩猟採集」というキーワードは読み取られていません。私のように狩猟採集というあり方と農耕牧畜というあり方に大きな違いを読み取る読者からすると、他の方々に狩猟採集というキーワードがあまり伝わっていないように思える点が残念です。「興味深い」「暮らせる」というキーワードから狩猟採集社会への興味が広がっていけばと思います。

 

実際のデータを以下に示します。スコアに着目してください。

 

█名詞 スコア 出現頻度
人類学 16.8 24
著者 15.04 19
世界 0.92 15
文明 24 12
人類 5.1 12
ヒト 10.73 9
研究 1 7
環境 1.05 7
二次元 3.28 6
支配 2.38 6
発展 1.86 5
判明 0.7 5
地球 0.87 5
人類学者 2.8 4
自然 0.3 4
教室 0.34 4
文学部 2.8 4
本書 3.39 4
宇宙 0.55 4
学者 3 3
存続 1.04 3
現代 0.74 3
定住 2.1 3
個人 0.12 3
現代文明 2.1 3
学問 1.38 3
議論 0.36 3
教授 0.2 3
自己 0.36 3
講義 0.31 3
█動詞 スコア 出現頻度
読む 0.41 11
思う 0.06 10
起きる 0.09 5
できる 0.02 5
書く 0.06 4
学ぶ 0.34 4
考える 0.01 2
触れる 0.16 2
生まれる 0.07 2
読める 0.12 2
行く 0 2
変わる 0.02 2
増やす 0.05 2
暮らせる 0.83 2
感じる 0.02 2
いく 0.01 2
生じる 0.32 2
得る 0.05 2
目指す 0.06 2
残す 0.03 1
問う 0.03 1
行う 0 1
嫌う 0.05 1
超える 0.02 1
閉じ込める 0.32 1
いただく 0.01 1
引き込む 0.32 1
交わる 0.58 1
歩む 0.32 1
生かす 0.07 1
█形容詞 スコア 出現頻度
面白い 0.06 3
大きい 0.04 2
興味深い 0.58 2
難しい 0.04 2
良い 0.01 2
おもしろい 0.03 1
やすい 0.01 1
熱い 0.02 1
無い 0 1
新しい 0.01 1
すばらしい 0.09 1
長い 0.01 1
高い 0 1
正しい 0.03 1
珍しい 0.04 1
広い 0.04 1

 

「二次元」は一人の方のレビューだけに登場していますが、これは「人工環境」と読み替えることもできるかもしれません。私としては、共感や心を強調する著者の主張は、幻想を追うだけの主張であるとしか思えませんでした。

 

以下に本書からの引用を示します。

■「定住革命」(2007西田)

「不快なものには近寄らない。危険であれば逃げてゆく。この単純極まる行動原理こそ、高い移動能力を発達させてきた動物の生きる基本戦略である。……ある時から人類の社会は、この戦略を大きく変えた」。(123)

人類史のなかの定住革命を読んで最も印象的だったのが、人類は定住したがっていたのではないという指摘でした。

 

■『狩猟採集民の百科事典』(リチャード・リー)より

現代の工業化された社会で、われわれはきわめて高い人口密度で高度に構造化された社会に生き、狩猟採集民が想像もできないような技術的贅沢を享受している。しかし、これらすべての社会には「持つもの」と「持たざるもの」があり、農・工業文明が始まってわずか数千年を経たにすぎないのに、地球の大部分は荒廃してしまった。(139)

この前の部分では。狩猟採集社会がマーシャル・サーリンズによって「豊かな社会の元祖」と呼ばれたことが指摘され、後の部分では、したがって狩猟採集者は「人間の未来についても教えてくれるのではなかろうか」とされています。さまざまな狩猟採集社会について知っていくと、毎日のようにテレビや新聞が伝える価値観は何の根拠もない幻想にすぎず、狩猟採集者たちこそが現実を生きているのだということが見えてきます。

 

■狩猟採集社会における食事

食事をとるときは、グループの老若男女が全員で「共食」するのが通例である。「孤食」は原則としてありえない。食事は単なる栄養補給ではなく、人間関係を強化するための重要な社会的行為である。この当然の事実を現代の文明人は忘れている。(148)

コリン・ターンブルは、小さい社会に生きることを精霊に、大きい社会に生きることを豚に例えたわけです(『豚と精霊』)。

 

■生物進化の偶然性

次に偶然について考えてみよう。生物科学の分野で国際的にもっとも影響力のあった日本の学者といえば、木村資生(1924~1994)が有力候補の一人である。彼の「分子進化の中立説」は、それまで自然淘汰万能の進化論(ダーウィニズム)が支配していた進化学・遺伝学に反旗を翻した。(160)

私は本書で知ったのですが、なるほど納得の行く内容でした。ただ、学会ではあまり重要視されていないようで、何らかの意図があるのではと感じてしまいます。

 

■自己家畜化

十九世紀後半から二〇世紀前半にかけて、ドイツ語圏の学者によっていくつものユニークな進化学説が提唱された。エルンスト・ヘッケルの「個体発生は系統発生の反復である」や、ユリウス・コルマンの「ネオテニー幼形成熟)」、それにエゴン・フォン・アイックシュテットによる「自己家畜化現象」などである。これらの仮説は現在ではn否定されているか、またはほとんど問題にされない。しかし、これらの概念には「まだ解明されていない何か」があると直感的に感じるのは、私だけではあるまい。(169-170)

体毛が薄くなったこと、新生児の未熟さ、歯の咬合が悪くなったことなど、人には、これらの現象があらわれているように思えます。これを進めていくと、純血種のペットに見られるような問題が人類にも現れて来るでしょう。

野生種と比べると、家畜には次のような特徴が見られる。①表現形の多様化。たとえば、イヌの品種には形態にも行動上の特徴にも驚くべき多様性が見られる(チワワからシェパードまで)。②繁殖期間と寿命の延長。③病気等への態勢低下。また、出産時に人手を借りる必要があるなど、自力での生存能の低下。④人間の保護・管理下でなければ生きてゆくことが難しい。(171-172)

ヒトについて言えば、特に近年になって家畜化が加速しているように見えます。殺虫剤の利用、庭のコンクリート化、出産の安全性の向上など、文明の利器によって守られる暮らしが人を家畜化していくのであり、この傾向を止めるには、よほどの覚悟や、個々人が生き方を選ぶことのできる環境がなければ難しそうです。

 

■コンラート・ローレンツの提唱した文明の八つの大罪から

五番目の「遺伝的な頽廃」については、遺伝学者から異論が出る。ローレ-ンツによれば、医学の発達によって本来なら淘汰されるはずの遺伝的疾患が残されるため、集団の中に有害遺伝子が蓄積してゆく。つまり、現代人は遺伝的に衰弱しているという。しかし、人口が非常に増えた現代人において、このことが認められるかは疑問である。(183)

 調べて見ると、日本では知的障害児が増加傾向にあります。判定基準の変化なども要因かもしれませんが、遺伝的な頽廃の結果の可能性を感じます。

 

■スモール・イズ・ビューティフル

第四章で、フィリピンのネグリト(小黒人)の起源について述べ、低身長という特徴が熱帯雨林への適応進化によってもたらされたと推定した。その際、「小さいことは、良いこと」という表現を用いたが、むろんこれはエルンスト・フリードリヒ・シューマッハー(1911-1977)の著書『スモール・イズ・ビューティフル』のアナロジーである。高収入、高学歴、高身長という三Kに価値を置く文化は、高度経済成長期の拡大経済至上主義と、格差に象徴される現代資本主義を彷彿とさせる。これに対して、アジアの経済を参考に「小さいが人間の顔をもった経済」を理想とする経済哲学を唱えた、このタイトルのインパクトはきわめて大きかった。(184)

 この後、「巨大さを追い求めるのは、自己破壊にも通じる」というシューマッハーの言葉も引用されています。人類史を振り返ると、争うことよりも人口を抑制して争いを避けようとした狩猟採集者たちから、朝貢による関係の維持を図った東アジア、徳川期の日本など、自由や競争ではなく、抑制にこそ知恵があらわれていると思える事象があります。いずれも、拡大を求めれば破綻に到ることを知っていたためと思われ、その意味で『銃・病原菌・鉄器』など問題外なのです。

 

■真の先住民は狩猟採集民

また、私は人類学の立場から、一般的な先住民族の概念には大きな問題があることを指摘したい。それは、先住性について最も明らかな集団、言い換えれば歴史が最も長く、しかも最も辺鄙な周辺地域に追いやられている存在である「狩猟採集民」が、国連等の先住民族の定義では考慮されていない。国連の委員会等に参加する各国の先住民族の代表の多くは農耕民で、人数や発言力で狩猟採集民をはるかに凌いでいる。私は、狩猟採集民こそ真の先住民であると主張したい。(198)

自然の恵みだけを頼りに生きることが、本来の生物らしい生き方であるとすれば、そのような生き方をしているのは、狩猟採集民だけです。陰謀論を知れば国連に期待することの無意味さを知りますが、しかし、狩猟採集者たちを考慮しないことには意図があるのかもしれません。

 

モンテーニュの『エセー』より、食人についての記述から

かれらは野生(ソヴァージュ)であるが、それは自然がおのずとその通常の進み具合によって生み出した果実を、われわれが野生(ソヴァージュ)と呼ぶのと同じ意味合いで野生なのである。本当のことをいえば、われわれが人為によって変質させ、ごくあたりまえの秩序から逸脱させてしまったものこそ、むしろ、野蛮(ソヴァージュ)と呼んでしかるべきではないか(230)

私は岩波文庫に収められているような作品は読書対象から外すことにしていますが、狩猟採集社会にまったく興味のない人々に刺激を与えるために、モンテーニュを読んで見るといいかもしれないと思いました。

 

■盗まれた世代

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、数万から10万人ものアボリジニの子どもが親から強制的に引き離され、収容所や孤児院に送られた結果、アボリジニとしての文化やアイデンティティが失われた。これを「盗まれた世代」と呼ぶ。植民者による先住民の文化と人権に対する重大な侵害の例である。(231)

同じことはカナダの先住民に対しても行われました。世界システムという視点から見れば、遺伝的には先住民であっても、価値観を植え付けてしまえば、安い労働力として利用できることになります。さらに、陰謀論的に見れば、国内に紛争の火種を作っておくことで、真の問題から目をそらさせておくこともできます。

 

■身分や階級について

では、階級性や身分制もヒトという生物種の特徴の一つなのだろうか。そうではあるまい。第五章で述べたように、遊動性狩猟採集民ではリーダーはいるが、階級、ましてや奴隷は見られない。このようなケースが見られたという野外調査があるかもしれないが、現在の狩猟採集民はさまざまな文明の影響を受けているので、本質的な発見といえるか疑問である。私が関係したフィリピンのネグリト人でも、能力によって選ばれたリーダー(ダトゥ)はいるが、階級や、まして奴隷は一切みられなかった。(238)

今は、雌と子どもの群れと一緒に居ることの多いライオンの雄はかつてはそうではなったそうです(『サバンナの動物親子に学ぶ』)。サファリパークにいけば、本来ありえないほど多数のオスとメスが一緒に暮らしています。私たちの生き方もまた、環境に応じて変わるものでしかなく、階級や身分は、定住というあり方が生んだものであるように思えます。しかも、現在のようにお金に頼るしかない世界ができ上がってしまえば、その傾向は更に強まるでしょう。結局、民主主義などという言葉に酔うのではなく、強制したくてもできない構造を作るしかないのでしょう。

 

■感情表現

狩猟採集民は、ごく自然に泣き、笑う。まるで子どものようである。娯楽が少ない彼(女)らの生活では、ちょっとしたことに笑い、泣く。(254-255)

狩猟採集者について知るようになると、一般的な書物に見られるヒトに関する記述が狩猟採集者の世界をまったく知らない人によるものであることがわかってきます。狩猟採集者たちによる動物に近い生き方は、文明社会の不自然さをあぶり出してくれます。

 

幻想を捨て現実に生きる人たちが狩猟採集者であるとすると、最終的に相互扶助や正義感にのみ着目していく著者の姿勢は、幻想を追うものでしかないと私の目には映ります。むしろ利己主義者である狩猟採集者たちが平等社会を作り上げている理由のほうに着目すべきではないでしょうか。