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book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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火を放つ

動画をいくつか紹介します。

オーストラリアのアボリジニが野焼きをして狩猟のしやすい環境を作っていたことを示す動画です。

 

 

 

 

 

 

アボリジニ遠い昔に農耕を行っていたかもしれませんが、伝統的な暮らしは狩猟採集生活であると見なされています。しかし、アボリジニの社会を他の狩猟採集社会と比べると、他の狩猟採集者たちが「 政治、宗教、経済といった面での社会的分業も未分化で、社会的統合のレベルも低く、集団の意志を長期的にわたって左右できるリーダーも存在しない」とされるのに対して、アボリジニの社会は、随分複雑であるという特徴があります。

 

このような複雑さは、アボリジニが狩猟採集者なのではなく、野焼きを利用して狩猟採集型の農耕を行う農耕民であるところに発しているのかもしれません。

 

アボリジニによる野焼きは自然と共存するための知恵*1なのか、それとも、里山千枚田と同じように、ある程度自然と共存しながらも、本来の自然を大きく変えてしまう活動*2なのか。

 

*1 アボリジニーの感覚では神話的時代と現代とのあいだにへだたりはない。実際、つい百年前まで、「文明人」からいわせれば石器時代そのままの暮らしをしていたのである。この「未開人」が蓄えてきた知恵は、しかし、自然保護ひとつとってもたいへん理にかなったものが多い。たとえば彼らは、雨期の終わりに草原や林に火を放つが、これは白人が考えていたような自然破壊行為ではなく、植生を保つのに役立っている。野焼きをしないと落ち葉がたまって、乾期に手の付けられない大規模な火事が引き起こされる可能性があるし、背の高い草や木が茂って、アボリジニーの食糧であるカンガルーなど中型の動物の生存圏を狭めてしまう。

 

*2 オーストラリアでフィールドワークをしていると、アボリジニに惚れ込んでいる人々に出会うことがある。彼は一様に「アボリジニたちは自然と共に生きている」というのである。確かに彼らはいまだに自然の実りを口にする部分が大きい。自然に対して手を加えることは少ないかに見えるが、はたしてどうであろうか。すでに述べたように、彼らは明らかに森に火を放ちそのことによって森を管理している。ブッシュに火をつけることは、大気中の二酸化炭素濃度を増やすことにつながる。したがって、昨今の地球温暖化論議からしても、まさに環境破壊である。もっとも、狩猟採集民や焼畑耕作民の火によって増加する二酸化炭素放出量よりも、工場や発電所、塵埃処理のためのそれの方が遙かに多いだろうが。
 しかし、考えてみると人間はそもそも環境を破壊してしか生きていけない動物なのではないか。出アフリカ以来、人間が到着した新しい土地から次々と大型動物が消滅している。オーストラリアでもディプロトドンなどの大型の動物は、人間が大陸にやってきた後に絶滅した。環境に手を加えて単一の植物種のみを栽培する農業もその最たるものである。人間のなんと業深いことか。

それはともかく、原始的な生き方をしているように見える人々の実像を知ってみれば、その土地で得られる環境を生かして長く生活を続けるための知恵が詰まっていることに、私たちはここでも気づくのです。