遊び疲れて日が暮れて
大きな木も育たない、水の流れる川もない、乾燥した土地で生きていくことはできるだろうか。
冬季の平均最低気温は0度を下回るような土地で霜が降りたりするのである。
獲物になる草食獣や、ダチョウも住んでいるが、ライオンもうろつくことのある土地なのである。
そんな土地に暮らす人々の様子を、音を消してみていると、毎日実に楽しそうに見えてくる。
みな、しなやかそうに痩せた体付きをしていて、体中が顔面のような丈夫な皮膚で覆われている。
なにしろ、学校もなければ会社もなく、持ち物も少ないのだから、気軽な暮らしだ。
夜になれば明かりのない世界が広がっているだろう。
雨が少ないことや、草木が少ないことは、快適な空間を作りだすことになっているようだ。
男の子たちは砂丘をかっこうの遊び場にして、マットの上で遊ぶように跳ねまわっている。
女性たちは、白い石を削って首飾りを作る。
男性たちが、獲物をしとめて帰ってくれば、皆で喜んで踊るのだが、 その踊りは見せるための踊りではなく、その歌は聞かせるための歌ではない。
この様子を見ていると 人間の本来の感情のあり方が伝わって来る。
もちろん、カラハリに住むことができるのは、賢く知恵深い人々であるからだ。 必要なほとんどのものを大地から得て暮らしていけるのだ。 そして、『身体の人類学』を読むとわかるように、人間は童話の国の存在ではなく、人間関係に苦しみ、さまざまな決まり事を作って生きている普通の人たちなのだ。 それでも、電気も水もお金も国も裁判所も学校も企業もない世界は、こんなにも生き生きとした感情豊かで本来的な世界なのだ。