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book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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水木しげるさん一周忌

2015年11月30日に亡くなられてから間もなく一年が経ちます。

 

水木さんが戦時中にしばしば現地の先住民のところに遊びに行っていて、そのまま現地に残ろうかと思ったほど先住民の生活にほれこんでいたことは知っていましたが、その頃はまだ、今ほど知識を持っていなかったので、このことの重要性を認識していませんでした。

 

かつてと今とでは、私の知識は大きく変わりました。

 

まず、陰謀論*を知ったこと。この視点から文明社会を見ると、規模の大小は問わず、常に支配者がいて、人々を働かせては、富を一人占めしようとしてきた社会が文明社会であるという基本図式を得ることができました。

(*『世界支配者VSライトワーカー』)

 

つぎに、人類学、特に文化人類学*の知識を得たこと。これにより、人の本来の姿は、どこまでも動物に近い姿であることを知りました。動物に近いとは、勤勉労働とは程遠く、楽しく暮らし、無理に命を生きながらえさせようとしない姿です。

(**『子どもの文化人類学』『ピダハン』『森の猟人ピグミー』『アボリジナル』『身体の人類学』 『人間が好き』)

 

つぎに、その視点から宗教を捉えなおしたこと。キリスト教イスラム教、仏教のいずれにしても、宗教が説いている価値観は、人を支配する文明社会の価値観でしかないということがわかりました。このような宗教を信じ込むと人は本来の姿に戻れなくなってしまいます。

 

さらに、人の認知について知ったこと***。薬効成分を含まないプラセボ(偽薬)を薬だと偽って投与された場合、患者の病状が良好に向かってしまうプラセボ効果は、むしろ生物に与えられた有効な能力であると把握し直すことや、気や自己暗示、自己催眠の効用を知ったこと、そのため人にとっては、外界の物理的な条件以上に内的世界のほうが重要性が高いとわかってきました。

(***『脳の神話が崩れるとき』『自己暗示』『催眠法の実際』『宇宙無限力の活用』『アワ歌で元気になる 驚きのコトタマパワー』 )

 

また、死についても学びました****。人にとって死は極めて重要な意味を持ち、死ぬことを前提として生きていくとき、日々を楽しく過ごすことや、先人たちから受けとった、生命の舞台としての地上をそのまま後世の人々に残すことこそが、主体的に生きるということなのだと考えるに至りました。

(****『サバンナの動物親子に学ぶ』『看取り士』『覚醒する心体』『アルピニズムと死』 )

 

さらには、健康や子育てについて調べ*****、人が作る食べ物(農作物・家畜)こそが病気の元であることや、狩猟採集生活こそが最良の子育て環境であることを知りました。

(*****『家畜になった日本人』『愛は化学物質だった!?』『子どもの文化人類学』『医療人類学』『ピダハン』『森に生きる人』)

 

人類はサバンナで誕生したのではなく、森で生まれたのだ*****という視点を得ることもできました。

(『はだかの起原』『モリはまんだら』)

 

こうした知識を得た上で、水木さんの妖怪が精霊信仰を表すものであったことを知り、水木さんが精霊信仰こそがあるべき宗教の姿だと考えておられたことを知って、ジャングルで水木さんが先住民の暮らしにほれ込んだことの重要性をようやく知ったのです。

 

生来のエゴイストでもあるという水木さんが、動物的な生き方をしている先住民と出会い意気投合するのは当然でした。そして、そのような生き方をする上で不可欠だったのが、自然界を生命としてとらえる精霊信仰でした。人間の都合などおかまいなしの思うようにならない生を受け入れるためにも精霊信仰は必要だったことでしょう。

 

元々、妖怪という目に見えない世界の話を好んでいた水木さんが、先住民の精霊信仰の世界を知って魅了されないはずがありません。しかも、相手のセノイ族は、人の本来の生き方である狩猟採集生活を続けていた人々であり、夢の見方を制御したり、夢で意志を伝えたりする、とびっきり高度な精神世界を築いていた人々でもありました。

 

つまり、水木さんがゲゲゲの鬼太郎などを通じて私たちに伝えてくれていたのは、人の本来の生き方をしている人々から学んだ、あるべき宗教の姿だったのでした。

 

私たちをこのあるべき姿から遠ざけてきたのが、農耕であり、文明であり、そこに発達してきた宗教でした。私たちは、精霊の世界から遠ざけられ、貨幣経済を拡大させるために一生利用される存在になっています。水木さんご自身は、陰謀論や文明の支配者という視点を持っておられず、したがって文明と精霊信仰は共存できると考えておられるようです(だからこそマスコミに取り上げられもするのでしょう)。しかし、事実は違います。文明の支配者がいて、私たちからより多く搾取しようとしている限り、精霊信仰が復活することはありません。

 

水木さんは、「物を持たない、物に執着しない、というのが精霊に好かれる条件なのだ」とおっしゃっています。精霊に好かれる生き方をするということ、それは、生命の舞台を損わない生き方をするということでもあると思います。私は皆さんに精霊信仰を広めていきたいと思っています。何も、いかがわしい話ではありません。もし目に見えないけれども木の陰や水の暗がりに精霊がいるとすれば、そのような精霊に好かれる生き方とはどのような生き方なのかを日々考えながら生きることでよいと考えています。

 

皆が精霊信仰になれば、この文明社会に支配者が存在していることがあからさまになると私は考えています。この記事をきっかけに、人の本来の生き方や、精霊信仰というあり方に興味を持っていただけたらと思います。

 

水木さんの本:『水木サンと妖怪たち: 見えないけれど、そこにいる