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「ホメオパシーが原因で新生児の死亡事故」について

繰り返されるホメオパシー騒動と「ニセ科学」 本当の問題はどこに? (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース 2016/10/21記事

しかし、ホメオパシーが原因で新生児の死亡事故も起きた
「問題はプラセボ効果を超えた効果がある、と喧伝している人たちがいて、それを信じてしまう医療関係者もいるという事実です」

2009年、山口県で起きた新生児の死亡事故。助産師が、ビタミンKシロップ投与という標準的な医療行為をせずに、「代替医療」としてレメディを投与していた。 

人の命が奪われていくことが悪いことなのだという考えはいつごろから広まったのだろう。事実を言えば、人の命が失われていくこと以上に、人が生物として生きることのできない社会のほうが重大な問題である。そして、上の記事から抜き出した部分は、この「人が生物として生きることのできない社会」を端的に表している。

 

もし、新生児にビタミンKシロップ投与をすることが標準医療になっているとすれば、もう私たちは生物として健全ではなくなったことを意味している。それだけではなく、この健全ではない世界を作り出すことで、製薬会社の利益が増し、私たちは税金や保険料という形で医療費を負担させられることも意味している。文明社会は、反対のしにくい立派は口実をもうけながら、一部のものの懐に利益がころがりこむ仕組みができあがった社会であるということもできるのだ。

 

もう一つ考えなくてはならないことは、生物は生き方に応じて能力や肉体が変っていかざるを得ない存在であるということだ。薬を飲むことや道具を使うことは肉体を衰えさせていく。事実ホモサピエンスは農耕を覚えて急激に劣化しているのだ。その意味では、ホメオパシーのように、外側からの働きかけの少ない手法のほうが優れているといえる。

 

だとすれば、「ホメオパシー」もまた「科学的」に正しい手法なのだ。

 

「科学的」という言葉も、先ほどの文明の支配者たちが都合よく作りあげた言葉なのだ。特定の価値観を押し付けたいときに、便利に利用できる言葉であり、どれほど多くの人々がこの言葉を信じて、人類を不幸にするだけの営みに精力をつぎ込んできたことだろうか。

 

生物として健全な状態とは、身近な薬草などを使ってできる医療行為だけを行い、それでも助からない命についてはきっぱりと諦めていく状態のほうのはずなのだ。