book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
「Amazon.co.jpアソシエイト」

子どもたちは基地を作る

小学生の頃、基地づくりをして遊んだ。

 

松の木の地上3メートルほどのところで幹が枝分かれしていたのを利用して、兄弟でツリーハウスを作って遊んでいた。

 

もちろん、たいしたものではなく、3人がしゃがんで入っていられる程度の小さな空間を枝や板で少し囲んだ程度のものだった。特に何をするわけでもないが、近所の悪ガキ連中を敵に見立てて、来るはずもない敵を監視するまねごとをしていた。

 

この基地はとても気に入っていたのだが、大人に見つかって壊されてしまい、怒られた。

 

 

そのあとは、林の中の少し空間のある部分に、道からは見えないようにして基地を作ってみたけれど、木の上の基地ほどは熱中できずにすぐに放棄してしまった。

 

 

 

わざわざ基地を作らなくても、倒された松の木は、即席の基地になった。

 

枝の張り具合によって、いくつかの部屋にわかれた基地を想定して、遊んでいたものだ。

 

 

今、ピグミーやブッシュマンが作る家を見ていると、その頃私たちが作っていたものは、基地ではなく、そうした家の原型のようなものだったことがわかる。

 

チンパンジーやゴリラが作る巣を少しだけ立派にしたような家。

 

基地は本当は家だった。

 

子どもの遊びと自然:『貝げらのめがね

この目で見て感動した、日本に住む小さな生き物たち

1.カヤネズミ

 

 

 

頭からお尻まで6cmくらい。

ススキの茎の上のほうに、鳥の巣のような巣を作ります。一度見たら、忘れられないカワイサです。

 

2. ヒミズ

 

頭からお尻まで9cmくらい。

 

3. エナガ

 

 

頭からお尻まで6cmくらい。

長い尾をもつので、全長は大きいですが、尾までのサイズは小さく、体重も8gほどしかありません。スズメは24gですから、ずっと小さいことがわかります。子どもの頃、エナガの群れが木の枝の間を渡って行くのを見て、こんなに小さい鳥が日本にいるのかと感動しました。

 

4. アブラコウモリ

 

頭からお尻まで5cmくらい。

これも子どもの頃、友達がつかまえて見せてくれました。

小さいマッチ箱の中にコウモリが入っていて、びっくりしました。

ちなみに赤ちゃんコウモリは飛行中も母親にくっついているそうです。

 

5. ススメガ

 

最近は、ハチドリと間違われることも多いというスズメガです。

この動画はスローなので羽根がよく見えますが、肉眼では扇風機の羽根のように半透明に見えます。

先日見かけたスズメガは体が緑色をしていました。こちらは、スズメガ科ですが違う種類でオオスカシバというガのようです。

 

 

かわいい生き物たちが日本に住んでいます。

 

「幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector」と「島人ぬ宝」

フランスの精神科医が幸福について記し、映画化もされた、評判の高い本がある。

幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector

 

リンク先の書評をお読みいただければわかるように、私はこの本に他の方たちとは違い低く評価した。

 

この本よりも私は、BEGINの「島人ぬ宝」や「人間が好き」、「森の猟人ピグミー」に幸せの教訓が含まれていると感じる。

 


BEGIN/島人ぬ宝

 

漁師とビジネスマンの話で言えば、漁師として生きることのできる世界がビジネスマンによって破壊されたとき人は不幸にならざるを得ず、ビジネスマンを作っているのは、世界システムの中枢にいる人々なのだということになる。

 

まだまだ自給自足的な要素が強く残っていた私の子ども時代と、田舎の生活もすっかり変わってしまった今と、そのときどきの私自身の価値観の変化(良質な報道があると信じ、民主主義や市民社会を信じ、バイオテクノロジーやビルゲイツを追った若者の時期を私も過ごしたのだ)を踏まえたとき、「島人ぬ宝」が伝える穏やかでありながら揺るがないメッセージに私は共感します。

 

 

 

農が変えた生き方

私が、人の本来の生き方を探るようになって知ったことはたくさんあります。

 

・農耕は大きな問題をもたらした

・人は本来、遊動生活者だった

・本来の宗教は自然崇拝であり、それ以外は人工的な宗教

・文明が進むほどに、人の生き方は非生物的になり、苦しくなっている

・弱い者を助けたいという感情と、弱い者を助けることが可能なのかという事実は、区別しなければいけない

・文明に支配者が存在しなかったことはなく、現在の文明にも支配者は存在している。支配者の姿は国際的な組織や、社会制度をよく見れば垣間見えている

・規模の拡大は、自立を奪い、主体的なあり方を奪う

・ヒトは動物以外の何者でもない

・人が快適さを追求すれば、肉体が弱まり、不快が増える

・不都合な事実を受け入れる以外に道はない

 

 

残念ながら、現代を生きる私たちが自らの意志で動かない限り、現在人類が直面している問題の大きな原因が農耕を開始したことにあるという事実に気づくことはできません。現代人は、テレビや教育によって伝えられる価値観や人々を本質から遠ざける枝葉末節的な話題や、生きるために必要なノウハウにばかり目を向けていると感じます。私は、多くの人がもっと深く根本を問う時間を増やして、こういった事実に気づくことで、本来のあり方である狩猟採集生活に戻ることができ、問題を解決できると考えています。

 

医療・教育・経済開発・環境保護・人種差別・宗教対立。そんなものは、解決すべき問題ではなく、ヒトが自然に従う以外に道はないという事実を忘れていることが本来の問題だったのです。

 

年月

若かったころの自分は何を考えていたか

それは新しい教育を受け、

新しい時代を生きる自分たちは

前の世代よりも進んでいるという誤解だった。

 

 

今の自分は何を考えているか。

 

新しいと見えた教育は

以前にもまして歪曲された情報の押し付けであったと見えてきた。

前の世代よりも進んでいるのではなく

前の世代と同じ轍を踏みながら

同じ間違いを繰り返しているだけであると見えてきた。

 

自分のポジションを得るために夢中で

立ち止まる余裕のない時代が

青春時代かもしれない。

 

年月を経て

私に見えてきたのは

そうして積み重ねてきた歴史が

人を動物としての存在から遠ざけ、

遠ざかった分だけ

不幸になっているという

大きな流れであった。

 

動物に近い生き方をしている

ピダハン、ブッシュマン、サン、ヘアーインディアンらは

動物としての幸せを感じている。

 

新しい教育を受けず、

新しい時代を生きない

人々の中に

動物らしい厳しさ

動物らしいあきらめがくれる

幸せがあった。

 

私たちに必要なのは

教育でも

医療でも

刑法でも

国家でもなく、

それらがないまま生きることのできる世界だった。

 

年月が私に告げるのは、

今の社会に合わせることだけを考えて生きることの

馬鹿らしさだった。

 

医療がないために

死ぬときがくれば死ぬ世界は

幸福だった。

 

教育がないために

学校にしばられることのない

子ども時代は幸せだった。

 

国家がないために

小集団の意志が通る世界は

幸せだった。

 

市場経済がない世界は

意味のない労働のない世界でもあった。

 

歳月を生きた人は

こうした価値観を

実感している自分に気づくことだろう。

 

 

現実を見ることでわかること

現実を見るとはどういうことか

 

たとえば、日常生活における情報量の偏りを補正してみよう。

無意識に日々を過ごしていると

東京と欧米先進国に良いことが集まり、

地方やその他の地域には悪いことばかりがあると

思い込むようになる。

 

現実を見るとは、これを補正しようと意図して取り組むことである。

 

 

 

生物について知ること

肉体について知ること

生命について知ること

地球の歴史について知ること

人類の長い動きを知ること

 

こうした取り組みを重ねていくと、

私たちが見せつけられている世界の偽物ぶりが

否応なく明らかになってくる。

 

 

 

これ以上語るのはやめよう。

私があなたに言いたいことは一つだけだ。

マスコミや教育を捨てて現実を見よう。

あなたも違和感を感じながら今まで生きてきたはずだ。

その違和感こそが、手掛かりだったのだ。

 

 

 

 

 

 

「終活」

私たちの生き方は、私たちが「生」と「死」をどうとらえているかによって決まってくる。

 

現代社会では多くの宗教が生と死についてお手軽に回答を与えてくれているし、日常生活は生と死からますます離れていき、生と死を深く考える機会を奪っている。

 

ならばまずすべきことは饒舌なマスコミから離れ、日常業務に追われる時間に少しの余裕を設けて、宗教のように誰かが用意してくれたものではない答えを探すために、生と死について考えることである。

 

生と死について考えろと言われてもどこから考え始めればよいのかわからないことが多いだろう。

 

私の場合は、人の本来の生き方を探るうちに、生と死について考えるようになった。

 

ピグミー、ブッシュマン、インディアンなど、本来の生き方に近い生き方をしている人々の暮らしぶりを知ることや、ゾウ、オオカミ、イノシシ、クマなどあるていど人間と共通点を持つ動物たちの生き方を知ることで、生れてから何十年も考えてみもしなかった生命の姿が見えてきたのだった。

 

あなたにもそういった情報に触れることをお勧めしたい。普段の生活では決して触れることのない世界に本を通じて触れることで、いままでなんとなく想定してきた前提条件が崩れていくことだろう。そうすれば、どう生きるべきなのかが見えてくるはずだ。

 

金もなく、孤独死しようとも、かまわない。それが私の今の心境なのだ。