book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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「幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector」と「島人ぬ宝」

フランスの精神科医が幸福について記し、映画化もされた、評判の高い本がある。

幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector

 

リンク先の書評をお読みいただければわかるように、私はこの本に他の方たちとは違い低く評価した。

 

この本よりも私は、BEGINの「島人ぬ宝」や「人間が好き」、「森の猟人ピグミー」に幸せの教訓が含まれていると感じる。

 


BEGIN/島人ぬ宝

 

漁師とビジネスマンの話で言えば、漁師として生きることのできる世界がビジネスマンによって破壊されたとき人は不幸にならざるを得ず、ビジネスマンを作っているのは、世界システムの中枢にいる人々なのだということになる。

 

まだまだ自給自足的な要素が強く残っていた私の子ども時代と、田舎の生活もすっかり変わってしまった今と、そのときどきの私自身の価値観の変化(良質な報道があると信じ、民主主義や市民社会を信じ、バイオテクノロジーやビルゲイツを追った若者の時期を私も過ごしたのだ)を踏まえたとき、「島人ぬ宝」が伝える穏やかでありながら揺るがないメッセージに私は共感します。

 

 

 

農が変えた生き方

私が、人の本来の生き方を探るようになって知ったことはたくさんあります。

 

・農耕は大きな問題をもたらした

・人は本来、遊動生活者だった

・本来の宗教は自然崇拝であり、それ以外は人工的な宗教

・文明が進むほどに、人の生き方は非生物的になり、苦しくなっている

・弱い者を助けたいという感情と、弱い者を助けることが可能なのかという事実は、区別しなければいけない

・文明に支配者が存在しなかったことはなく、現在の文明にも支配者は存在している。支配者の姿は国際的な組織や、社会制度をよく見れば垣間見えている

・規模の拡大は、自立を奪い、主体的なあり方を奪う

・ヒトは動物以外の何者でもない

・人が快適さを追求すれば、肉体が弱まり、不快が増える

・不都合な事実を受け入れる以外に道はない

 

 

残念ながら、現代を生きる私たちが自らの意志で動かない限り、現在人類が直面している問題の大きな原因が農耕を開始したことにあるという事実に気づくことはできません。現代人は、テレビや教育によって伝えられる価値観や人々を本質から遠ざける枝葉末節的な話題や、生きるために必要なノウハウにばかり目を向けていると感じます。私は、多くの人がもっと深く根本を問う時間を増やして、こういった事実に気づくことで、本来のあり方である狩猟採集生活に戻ることができ、問題を解決できると考えています。

 

医療・教育・経済開発・環境保護・人種差別・宗教対立。そんなものは、解決すべき問題ではなく、ヒトが自然に従う以外に道はないという事実を忘れていることが本来の問題だったのです。

 

年月

若かったころの自分は何を考えていたか

それは新しい教育を受け、

新しい時代を生きる自分たちは

前の世代よりも進んでいるという誤解だった。

 

 

今の自分は何を考えているか。

 

新しいと見えた教育は

以前にもまして歪曲された情報の押し付けであったと見えてきた。

前の世代よりも進んでいるのではなく

前の世代と同じ轍を踏みながら

同じ間違いを繰り返しているだけであると見えてきた。

 

自分のポジションを得るために夢中で

立ち止まる余裕のない時代が

青春時代かもしれない。

 

年月を経て

私に見えてきたのは

そうして積み重ねてきた歴史が

人を動物としての存在から遠ざけ、

遠ざかった分だけ

不幸になっているという

大きな流れであった。

 

動物に近い生き方をしている

ピダハン、ブッシュマン、サン、ヘアーインディアンらは

動物としての幸せを感じている。

 

新しい教育を受けず、

新しい時代を生きない

人々の中に

動物らしい厳しさ

動物らしいあきらめがくれる

幸せがあった。

 

私たちに必要なのは

教育でも

医療でも

刑法でも

国家でもなく、

それらがないまま生きることのできる世界だった。

 

年月が私に告げるのは、

今の社会に合わせることだけを考えて生きることの

馬鹿らしさだった。

 

医療がないために

死ぬときがくれば死ぬ世界は

幸福だった。

 

教育がないために

学校にしばられることのない

子ども時代は幸せだった。

 

国家がないために

小集団の意志が通る世界は

幸せだった。

 

市場経済がない世界は

意味のない労働のない世界でもあった。

 

歳月を生きた人は

こうした価値観を

実感している自分に気づくことだろう。

 

 

現実を見ることでわかること

現実を見るとはどういうことか

 

たとえば、日常生活における情報量の偏りを補正してみよう。

無意識に日々を過ごしていると

東京と欧米先進国に良いことが集まり、

地方やその他の地域には悪いことばかりがあると

思い込むようになる。

 

現実を見るとは、これを補正しようと意図して取り組むことである。

 

 

 

生物について知ること

肉体について知ること

生命について知ること

地球の歴史について知ること

人類の長い動きを知ること

 

こうした取り組みを重ねていくと、

私たちが見せつけられている世界の偽物ぶりが

否応なく明らかになってくる。

 

 

 

これ以上語るのはやめよう。

私があなたに言いたいことは一つだけだ。

マスコミや教育を捨てて現実を見よう。

あなたも違和感を感じながら今まで生きてきたはずだ。

その違和感こそが、手掛かりだったのだ。

 

 

 

 

 

 

「終活」

私たちの生き方は、私たちが「生」と「死」をどうとらえているかによって決まってくる。

 

現代社会では多くの宗教が生と死についてお手軽に回答を与えてくれているし、日常生活は生と死からますます離れていき、生と死を深く考える機会を奪っている。

 

ならばまずすべきことは饒舌なマスコミから離れ、日常業務に追われる時間に少しの余裕を設けて、宗教のように誰かが用意してくれたものではない答えを探すために、生と死について考えることである。

 

生と死について考えろと言われてもどこから考え始めればよいのかわからないことが多いだろう。

 

私の場合は、人の本来の生き方を探るうちに、生と死について考えるようになった。

 

ピグミー、ブッシュマン、インディアンなど、本来の生き方に近い生き方をしている人々の暮らしぶりを知ることや、ゾウ、オオカミ、イノシシ、クマなどあるていど人間と共通点を持つ動物たちの生き方を知ることで、生れてから何十年も考えてみもしなかった生命の姿が見えてきたのだった。

 

あなたにもそういった情報に触れることをお勧めしたい。普段の生活では決して触れることのない世界に本を通じて触れることで、いままでなんとなく想定してきた前提条件が崩れていくことだろう。そうすれば、どう生きるべきなのかが見えてくるはずだ。

 

金もなく、孤独死しようとも、かまわない。それが私の今の心境なのだ。

 

 

 

新人の銀行員におすすめしたい本3冊。

残念ながら読書量の少ない私は3冊の本しかあげられないのだが、銀行員たるもの、このくらいの知識は持っておいて欲しいと言える本ばかりなのでご容赦願いたい。

 

まずは、比較的穏当なものから。

 

書評 『世界システム論講義: ヨーロッパと近代世界』

 

この本に金融の話題はあまり出てこないのだが、現在の世界がどのような状態にあるのかを知るために銀行員にとって必読の本であると言える。銀行員は世界システムの中核にいて、その完成に協力することを本業としているからである。銀行が世界を救うのか破滅させるのか、よく考える機会をくれることだろう。

 

次に、常識的な銀行員であれば、はなっから相手にしない本をあげておこう。

 

書評「「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」

 

世界史を学習したことがある人であれば、学生時代に学んだあくびの出るような世界史と比べて実に生き生きとした歴史が語られていることに驚くだろう。この本を読んでおくと、金融の仕組みについて抱いていた疑問が一気に解決するはずだ。そう、金融システムは、お金持ちにとって有利なシステムなのだ。

 

最後に、さらに非常識な本をあげよう。

 

 書評『勝敗の鍵を握るのはレビ族末裔<<サイキック>>日本人! 世界支配者VSライトワーカー ダークエネルギーでアセンションを加速させる最後の秘法』

この本の内容は、突拍子もない話が多いのだが、上記2冊と合わせて読むことで、現代社会の実態に関する視点が増えることだろう。現在までの人類史は、お金など存在していなかった社会から、お金があれば何でもでき、お金がなければ何もできない社会へと移り変わる歴史であった。このようなお金を動かす金融システムに身を置く銀行員であれば、お金とは何かについて考える必要があるだろう。その際、これらの本は、大いに役立つと私は考えている。

 

 

裸足で過ごした冬

私は家で仕事をしている関係で、

冬でもほぼ裸足のままで過ごすという

実験にこの冬挑戦できた。

おまけに仕事部屋ではエアコンを止めてしまった。

 

途中まではスリッパを利用しないでいたのだが、

結局断念してスリッパは履くことになった。

 

それは、たまたまほんの数十分の散歩の際も

裸足にサンダルを履いて出たとき、

あかぎれができてしまったからだ。

 

最初はトゲがささったのだと思ったのだが、

よくみると親指のしわのところがひび割れていたのだった。

 

なんと弱い我が肉体かと感じると同時に、

かつてこの地をはだしで歩いていただろう人々の

たくましさに想いを馳せたものである。

(今でもニホンザルははだしで平気だ)。

 

 

この実験を通じて思い知ったことは、

動物本来の生き方の厳しさであった。

 

 

そうして思い出したのは、未開または原始的という、実は本来的な

暮らし方をしている人々の歩く速度が例外なく速いということだった。

 

速い速度で歩けるのは、鍛えられる暮らしをしているからであり、

そのような暮らしについていけなければ死が待っているということである。

 

人類学者たちは、時間に追われる私たちとは異なる、

ゆったりと生きる未開人を知って、私たちのあこがれをかき立てる。

しかし、未開人たちの暮らしはゆったりとしているかもしれないが、

厳しくもあったのである。

 

 

そう、そのような厳しさこそが生命を磨き、種を維持するための健全性を保ってきたのだ。あまりにも人工的な環境が拡大し、言語によって惑わされる中で忘れさっていたのが、この事実だったのだ。

 

少し実験しただけであかぎれのできる私の足は、私がひ弱な文明人であることと、人類が文明を維持し続けていれば、間もなく生命としての健全性を失うであろうことを教えてくれた。