book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
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「終活」

私たちの生き方は、私たちが「生」と「死」をどうとらえているかによって決まってくる。

 

現代社会では多くの宗教が生と死についてお手軽に回答を与えてくれているし、日常生活は生と死からますます離れていき、生と死を深く考える機会を奪っている。

 

ならばまずすべきことは饒舌なマスコミから離れ、日常業務に追われる時間に少しの余裕を設けて、宗教のように誰かが用意してくれたものではない答えを探すために、生と死について考えることである。

 

生と死について考えろと言われてもどこから考え始めればよいのかわからないことが多いだろう。

 

私の場合は、人の本来の生き方を探るうちに、生と死について考えるようになった。

 

ピグミー、ブッシュマン、インディアンなど、本来の生き方に近い生き方をしている人々の暮らしぶりを知ることや、ゾウ、オオカミ、イノシシ、クマなどあるていど人間と共通点を持つ動物たちの生き方を知ることで、生れてから何十年も考えてみもしなかった生命の姿が見えてきたのだった。

 

あなたにもそういった情報に触れることをお勧めしたい。普段の生活では決して触れることのない世界に本を通じて触れることで、いままでなんとなく想定してきた前提条件が崩れていくことだろう。そうすれば、どう生きるべきなのかが見えてくるはずだ。

 

金もなく、孤独死しようとも、かまわない。それが私の今の心境なのだ。

 

 

 

新人の銀行員におすすめしたい本3冊。

残念ながら読書量の少ない私は3冊の本しかあげられないのだが、銀行員たるもの、このくらいの知識は持っておいて欲しいと言える本ばかりなのでご容赦願いたい。

 

まずは、比較的穏当なものから。

 

書評 『世界システム論講義: ヨーロッパと近代世界』

 

この本に金融の話題はあまり出てこないのだが、現在の世界がどのような状態にあるのかを知るために銀行員にとって必読の本であると言える。銀行員は世界システムの中核にいて、その完成に協力することを本業としているからである。銀行が世界を救うのか破滅させるのか、よく考える機会をくれることだろう。

 

次に、常識的な銀行員であれば、はなっから相手にしない本をあげておこう。

 

書評「「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」

 

世界史を学習したことがある人であれば、学生時代に学んだあくびの出るような世界史と比べて実に生き生きとした歴史が語られていることに驚くだろう。この本を読んでおくと、金融の仕組みについて抱いていた疑問が一気に解決するはずだ。そう、金融システムは、お金持ちにとって有利なシステムなのだ。

 

最後に、さらに非常識な本をあげよう。

 

 書評『勝敗の鍵を握るのはレビ族末裔<<サイキック>>日本人! 世界支配者VSライトワーカー ダークエネルギーでアセンションを加速させる最後の秘法』

この本の内容は、突拍子もない話が多いのだが、上記2冊と合わせて読むことで、現代社会の実態に関する視点が増えることだろう。現在までの人類史は、お金など存在していなかった社会から、お金があれば何でもでき、お金がなければ何もできない社会へと移り変わる歴史であった。このようなお金を動かす金融システムに身を置く銀行員であれば、お金とは何かについて考える必要があるだろう。その際、これらの本は、大いに役立つと私は考えている。

 

 

裸足で過ごした冬

私は家で仕事をしている関係で、

冬でもほぼ裸足のままで過ごすという

実験にこの冬挑戦できた。

おまけに仕事部屋ではエアコンを止めてしまった。

 

途中まではスリッパを利用しないでいたのだが、

結局断念してスリッパは履くことになった。

 

それは、たまたまほんの数十分の散歩の際も

裸足にサンダルを履いて出たとき、

あかぎれができてしまったからだ。

 

最初はトゲがささったのだと思ったのだが、

よくみると親指のしわのところがひび割れていたのだった。

 

なんと弱い我が肉体かと感じると同時に、

かつてこの地をはだしで歩いていただろう人々の

たくましさに想いを馳せたものである。

(今でもニホンザルははだしで平気だ)。

 

 

この実験を通じて思い知ったことは、

動物本来の生き方の厳しさであった。

 

 

そうして思い出したのは、未開または原始的という、実は本来的な

暮らし方をしている人々の歩く速度が例外なく速いということだった。

 

速い速度で歩けるのは、鍛えられる暮らしをしているからであり、

そのような暮らしについていけなければ死が待っているということである。

 

人類学者たちは、時間に追われる私たちとは異なる、

ゆったりと生きる未開人を知って、私たちのあこがれをかき立てる。

しかし、未開人たちの暮らしはゆったりとしているかもしれないが、

厳しくもあったのである。

 

 

そう、そのような厳しさこそが生命を磨き、種を維持するための健全性を保ってきたのだ。あまりにも人工的な環境が拡大し、言語によって惑わされる中で忘れさっていたのが、この事実だったのだ。

 

少し実験しただけであかぎれのできる私の足は、私がひ弱な文明人であることと、人類が文明を維持し続けていれば、間もなく生命としての健全性を失うであろうことを教えてくれた。

 

 

 

 

動物の鳴き方は最初から決まっていると思っていませんか(動物も関係構築は相手次第)

我が家にはテレビはありませんが、外出先でたまたまこの番組を見る機会がありました。

cgi2.nhk.or.jp

cgi2.nhk.or.jp

risurisu3.blog48.fc2.com

一番下に上げたリンク先にあるように、リスたちは、鳴き声を使い分けて敵の種類ごとに行動を変えたり、仲間を騙したりしているようです。

 

でも、この番組には、一番肝心な所が抜けているなと私は感じます。それは、リスたちの行動は、後天的であろうということです。

 

たとえば、次の動画を見てください。

 

いかにも人がいじわるしているように見えても、応じてはいけない理由がこの動画のコメント欄に記されています。

「犬飼ったことない連中から「早く入れてあげなよ」というコメントあるが、実際柴犬はああやって悲しそうに泣くと飼い主が妥協してくれるのを覚えてるものだ。煽情的に泣くことで”人間を操ろう”としてるんだよ。マインドを操られたらだんだん増長していうこと聞かなくなって飼い主を噛むようになる。」

 

犬はこのような鳴き声を出すと相手が動くことを学習していくということです。

 

犬と人の間だからだろうと思うかもしれませんが同じ種類の動物どおしでも同じなのです。

 

我が家の猫に子猫が生れた後で私が知ったことです。子猫たちは母猫の呼びかけを完全に無視して勝手な行動を続けました。母猫はどうすることもできずに呼び続けるだけでした。

 

こうして家に猫の家族がいることで知ったことは、猫も私たちも相手の反応を手がかりにしながら相手との関係を築いているのだということでした。猫は遊んで欲しくで鳴いてきたり、おやつが欲しくて鳴いてきたりしますが、しばらくほうっておけば諦めていきます。じっとこちらの眼を見て強く鳴いてみたり、体をすりつけてみたりすることもあります。

 

こうして猫どうしのやりとりや、私と猫とのやりとりを通じてわかることは、猫と人の間も人と人の間も、相手とのやりとりという点では基本は同じなのだということです。相手の出方をうかがって動きを止めて顔を見つめ合っていたり、こちらがじっと見ていると目を閉じたりと、まるで人のように感じます。

 

動物の鳴き声は確かにある程度決まっていて、私たちの言葉のように自由ではありません。でも私たちも言葉ではない声も持っています。ウォーと叫んでみたり、号泣したり、わーと歓声をあげたり。そして、そのときの相手の感情も伝わってきます。

 

そうして見ると、一方では、動物にも後天的に学習していく言語のような声があり、他方では私たちにも直観的に伝わる声があります。結局、動物と人の間に大きな違いは存在してなどおらず、ただ私たちが自由に操ることのできる言語を持つということだけが違いであるようなのです。

 

動物だけに本能行動を想定する代わりに、人も動物も基本的に同じであると考えていかないことには、この世界の真実には到達できそうにないと私は思います。

 

 

 

 

 

 

嫌いなピーマンが、誰にも取られたくないくらい美味しい食べ物になる

眠すぎて、相手の声は聞こえていて内容も理解できるのに、空返事をしてしまうことがあります。

夢の中では、普段ならおかしいと思うことでも、何の疑問も持つことなく受け入れており、目が覚めて夢だと気づいてから、なぜ夢の中では不思議に思わなかったのかと逆に不思議に思うこともあります。

 

こうした体験が、催眠術にかかっているときと同じ、意識変容と呼ばれる現象であるとわかると、催眠術はいかがわしいトンデモなものではなく、実際に効果があり、利用可能な能力の一つであることがわかります。

 

次の動画では、普段は嫌いなピーマンをただ食べるだけでなく、誰にも分けたくないごちそうであると感じるようになっています。しかも、催眠者と普通に会話できています。

 

 

同じ催眠者による「手が開かなくなる催眠術」の動画もあります。

体験してみましょう。

 

催眠術はいかがわしいものではなく、当たり前のものであるとわかるようになると、私たちにとって重要なことは、物理的な事実ではなく、私たちの肉体を通じて知覚する世界であることがわかってきます。

 

催眠術の世界へようこそ。

 

 書評『催眠法の実際

 

 

実際にやってみないとわからない

岡崎市を拠点に活動し、かなり独特な動画を投稿しているユーチューバーグループの東海オンエア。ユーチューブのライブ配信を利用して、他のユーチューバーなら決して行わないであろう実験をしてくれた。子どもがよくやる、10秒や1分を勘で計ってどれだけ正確にストップウオッチを止めることができるかという遊びの24時間版だ。

 

 

挑戦者は東海オンエアのリーダーであるてつや氏(23歳)。24時間テレビの個人版のようなものかと考え、普段から寝不足気味のてつや氏がそんなことをしては死んでしまうと危惧したのだがまったくそんなことはなく、おそらく普段以上に睡眠を取っていたのが私個人としては嬉しかった。本人が寝ただけでなく、このライブ配信を最初から最後まで見続けた視聴者も一人もいなかったと思われれる。

 

さてこのような緩い条件で、行うことはただひとつ、一度もカメラの前から姿を消すことなく、時間経過を推測しながら24時間経過したと思えた時点でストップウオッチを止めることだけである。

 

しかし、次第にてつや氏が精神的に追い詰められていくのがカメラ越しでもひしひしと伝わってきた。いつ止めてもかまわないし、大きく外れていてもかまわない時間経過の推測という作業が、ひどく精神を苦しめるものとしてのしかかっているのである。ずっと一人切りというわけでもなく、自由に睡眠をとることが可能であるにも関わらず、これほど大きな影響を与えてしまう。

 

上の動画ではこの部分がわずかな分数にまとめられてしまっているが、それでも、てつや氏の疲労ぶりが伝わってきている。頭で考えるほど簡単ではないのである。

 

こうした実験のおかげで、私たちは私たちの精神が外からの影響を簡単に受ける脆弱なものであることを教えられる。頭ではなんとでもなると思っていても、密室で取り調べを受ければ簡単に変調をきたすものであり、マスコミからバッシングされ続ければすぐに失調するものであり、群衆に取り囲まれればすぐに同調するものなのである。

 

 

 

 

豊かで成熟した市民社会という幻想:世界システム論

世界システム論は告げている。

 

西欧が発展したのは、一つの大きな有機体としての世界システムに世界を組み込み、各地を周辺化しながら中核として富を搾取したからであった。西欧を発展させるために、他の地域は発展を阻害されて、不平等な取引きを受け入れるしかなかった。

 

ブラック企業の根源は、産業革命という工業化の原点が、労働力の搾取なしではありえなかったことにあったのである。

 

各地に広がる政治的無関心の根源は、フランス革命の理念が、世界システムに世界を組み込むために利用されたにすぎず、ただの口実であることにあったのである。

 

西欧に市民社会が存在しているように見えるとすれば、それは世界システムの中核として世界各地から富を搾取することで、経済的に余裕のある中核地域を生み出しているからである。

 

世界システムという考え方に注目してみれば、法律とは中核と周辺を生み出す不平等を押しつけるためのものであることがわかり、マスコミは世界システムを強化する情報を流し続けていることがわかり、学校教育もまた世界中が中核になるという決して実現されない夢を持たせ幻惑しながらよい世界システムの中で世界システムの都合に合わせて努力する労働者を生み出すための存在であることがわかるのである。

 

すなわち、私たちはまず私たちが置かれている場所が世界システムのただ中であるという現実を認めないことには、一生を世界システムに捧げるだけの存在として生き空しく死んでいくことになってしまうのである。

 

人権活動家

慈善事業家

ジャーナリスト

教師

弁護士

警察官

起業家

投資家

もちろん私自身も含め

すべての人生を空しくするこのシステムについて

まずはよく知ろうではないか。

そうしてみれば、

つつましく、しかし毅然として生きること以外に

主体的な人生のないことに気づくことになるだろう。

 

豊かで成熟した市民社会などというものは訪れず

大地世界に属しているという

生物としての生き方だけがあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『世界システム論講義』は、アメリカの社会学者・歴史学者、イマニュエル・ウォーラステインが提唱した世界システム論をわかりやすく解説した本である。

 

イマニュエル・ウォーラステインはユダヤ系アメリカ人であり、世界システム論講義も当初放送大学のテキストとしてまとめられているように、この本の内容自体は、どちらかといえば体制側に立った内容であるといえる。そのため、国際金融家たちが作りあげた中央銀行、株式、民主主義、マスコミなどの仕組みに一切触れていない点に不満が残る。しかし、人とは何か、文明とは何かを考えるうえで、欠かすことのできない知識を与えてくれる本である。

 

私たちは、人は他の動物たちとは一線を画した存在であると考え、また、植民地や奴隷があった頃とは大きく違う文明社会を作りあげたと考えるように教え込まれている。

 

だが、この本に描かれているのは、人は動物であり、文明の姿は帝国主義時代といっさい変化していないという事実である。