動物の鳴き方は最初から決まっていると思っていませんか(動物も関係構築は相手次第)
我が家にはテレビはありませんが、外出先でたまたまこの番組を見る機会がありました。
一番下に上げたリンク先にあるように、リスたちは、鳴き声を使い分けて敵の種類ごとに行動を変えたり、仲間を騙したりしているようです。
でも、この番組には、一番肝心な所が抜けているなと私は感じます。それは、リスたちの行動は、後天的であろうということです。
たとえば、次の動画を見てください。
いかにも人がいじわるしているように見えても、応じてはいけない理由がこの動画のコメント欄に記されています。
「犬飼ったことない連中から「早く入れてあげなよ」というコメントあるが、実際柴犬はああやって悲しそうに泣くと飼い主が妥協してくれるのを覚えてるものだ。煽情的に泣くことで”人間を操ろう”としてるんだよ。マインドを操られたらだんだん増長していうこと聞かなくなって飼い主を噛むようになる。」
犬はこのような鳴き声を出すと相手が動くことを学習していくということです。
犬と人の間だからだろうと思うかもしれませんが同じ種類の動物どおしでも同じなのです。
我が家の猫に子猫が生れた後で私が知ったことです。子猫たちは母猫の呼びかけを完全に無視して勝手な行動を続けました。母猫はどうすることもできずに呼び続けるだけでした。
こうして家に猫の家族がいることで知ったことは、猫も私たちも相手の反応を手がかりにしながら相手との関係を築いているのだということでした。猫は遊んで欲しくで鳴いてきたり、おやつが欲しくて鳴いてきたりしますが、しばらくほうっておけば諦めていきます。じっとこちらの眼を見て強く鳴いてみたり、体をすりつけてみたりすることもあります。
こうして猫どうしのやりとりや、私と猫とのやりとりを通じてわかることは、猫と人の間も人と人の間も、相手とのやりとりという点では基本は同じなのだということです。相手の出方をうかがって動きを止めて顔を見つめ合っていたり、こちらがじっと見ていると目を閉じたりと、まるで人のように感じます。
動物の鳴き声は確かにある程度決まっていて、私たちの言葉のように自由ではありません。でも私たちも言葉ではない声も持っています。ウォーと叫んでみたり、号泣したり、わーと歓声をあげたり。そして、そのときの相手の感情も伝わってきます。
そうして見ると、一方では、動物にも後天的に学習していく言語のような声があり、他方では私たちにも直観的に伝わる声があります。結局、動物と人の間に大きな違いは存在してなどおらず、ただ私たちが自由に操ることのできる言語を持つということだけが違いであるようなのです。
動物だけに本能行動を想定する代わりに、人も動物も基本的に同じであると考えていかないことには、この世界の真実には到達できそうにないと私は思います。
嫌いなピーマンが、誰にも取られたくないくらい美味しい食べ物になる
眠すぎて、相手の声は聞こえていて内容も理解できるのに、空返事をしてしまうことがあります。
夢の中では、普段ならおかしいと思うことでも、何の疑問も持つことなく受け入れており、目が覚めて夢だと気づいてから、なぜ夢の中では不思議に思わなかったのかと逆に不思議に思うこともあります。
こうした体験が、催眠術にかかっているときと同じ、意識変容と呼ばれる現象であるとわかると、催眠術はいかがわしいトンデモなものではなく、実際に効果があり、利用可能な能力の一つであることがわかります。
次の動画では、普段は嫌いなピーマンをただ食べるだけでなく、誰にも分けたくないごちそうであると感じるようになっています。しかも、催眠者と普通に会話できています。
同じ催眠者による「手が開かなくなる催眠術」の動画もあります。
体験してみましょう。
催眠術はいかがわしいものではなく、当たり前のものであるとわかるようになると、私たちにとって重要なことは、物理的な事実ではなく、私たちの肉体を通じて知覚する世界であることがわかってきます。
催眠術の世界へようこそ。
書評『催眠法の実際』
実際にやってみないとわからない
岡崎市を拠点に活動し、かなり独特な動画を投稿しているユーチューバーグループの東海オンエア。ユーチューブのライブ配信を利用して、他のユーチューバーなら決して行わないであろう実験をしてくれた。子どもがよくやる、10秒や1分を勘で計ってどれだけ正確にストップウオッチを止めることができるかという遊びの24時間版だ。
挑戦者は東海オンエアのリーダーであるてつや氏(23歳)。24時間テレビの個人版のようなものかと考え、普段から寝不足気味のてつや氏がそんなことをしては死んでしまうと危惧したのだがまったくそんなことはなく、おそらく普段以上に睡眠を取っていたのが私個人としては嬉しかった。本人が寝ただけでなく、このライブ配信を最初から最後まで見続けた視聴者も一人もいなかったと思われれる。
さてこのような緩い条件で、行うことはただひとつ、一度もカメラの前から姿を消すことなく、時間経過を推測しながら24時間経過したと思えた時点でストップウオッチを止めることだけである。
しかし、次第にてつや氏が精神的に追い詰められていくのがカメラ越しでもひしひしと伝わってきた。いつ止めてもかまわないし、大きく外れていてもかまわない時間経過の推測という作業が、ひどく精神を苦しめるものとしてのしかかっているのである。ずっと一人切りというわけでもなく、自由に睡眠をとることが可能であるにも関わらず、これほど大きな影響を与えてしまう。
上の動画ではこの部分がわずかな分数にまとめられてしまっているが、それでも、てつや氏の疲労ぶりが伝わってきている。頭で考えるほど簡単ではないのである。
こうした実験のおかげで、私たちは私たちの精神が外からの影響を簡単に受ける脆弱なものであることを教えられる。頭ではなんとでもなると思っていても、密室で取り調べを受ければ簡単に変調をきたすものであり、マスコミからバッシングされ続ければすぐに失調するものであり、群衆に取り囲まれればすぐに同調するものなのである。
豊かで成熟した市民社会という幻想:世界システム論
世界システム論は告げている。
西欧が発展したのは、一つの大きな有機体としての世界システムに世界を組み込み、各地を周辺化しながら中核として富を搾取したからであった。西欧を発展させるために、他の地域は発展を阻害されて、不平等な取引きを受け入れるしかなかった。
ブラック企業の根源は、産業革命という工業化の原点が、労働力の搾取なしではありえなかったことにあったのである。
各地に広がる政治的無関心の根源は、フランス革命の理念が、世界システムに世界を組み込むために利用されたにすぎず、ただの口実であることにあったのである。
西欧に市民社会が存在しているように見えるとすれば、それは世界システムの中核として世界各地から富を搾取することで、経済的に余裕のある中核地域を生み出しているからである。
世界システムという考え方に注目してみれば、法律とは中核と周辺を生み出す不平等を押しつけるためのものであることがわかり、マスコミは世界システムを強化する情報を流し続けていることがわかり、学校教育もまた世界中が中核になるという決して実現されない夢を持たせ幻惑しながらよい世界システムの中で世界システムの都合に合わせて努力する労働者を生み出すための存在であることがわかるのである。
すなわち、私たちはまず私たちが置かれている場所が世界システムのただ中であるという現実を認めないことには、一生を世界システムに捧げるだけの存在として生き空しく死んでいくことになってしまうのである。
人権活動家
慈善事業家
ジャーナリスト
教師
弁護士
警察官
起業家
投資家
もちろん私自身も含め
すべての人生を空しくするこのシステムについて
まずはよく知ろうではないか。
そうしてみれば、
つつましく、しかし毅然として生きること以外に
主体的な人生のないことに気づくことになるだろう。
豊かで成熟した市民社会などというものは訪れず
生物としての生き方だけがあるのだ。
『世界システム論講義』は、アメリカの社会学者・歴史学者、イマニュエル・ウォーラステインが提唱した世界システム論をわかりやすく解説した本である。
イマニュエル・ウォーラステインはユダヤ系アメリカ人であり、世界システム論講義も当初放送大学のテキストとしてまとめられているように、この本の内容自体は、どちらかといえば体制側に立った内容であるといえる。そのため、国際金融家たちが作りあげた中央銀行、株式、民主主義、マスコミなどの仕組みに一切触れていない点に不満が残る。しかし、人とは何か、文明とは何かを考えるうえで、欠かすことのできない知識を与えてくれる本である。
私たちは、人は他の動物たちとは一線を画した存在であると考え、また、植民地や奴隷があった頃とは大きく違う文明社会を作りあげたと考えるように教え込まれている。
だが、この本に描かれているのは、人は動物であり、文明の姿は帝国主義時代といっさい変化していないという事実である。
日本の子どもたちは元気いっぱいだ
私が楽しませてもらっているグループユーチューバーがいます。
愛知県岡崎市を拠点に6人グループで活動している東海オンエアです。
一人は結婚を機に埼玉県に引っ越したようですが、6人グループとしての活動が続いています。
彼らを他のユーチューバーと差別化する作品の一つを紹介します。
大人の威厳を小学生たちに見せつけようとするこの企画。最初は、近年の洗脳教育もあって子どもたちに警戒されてしまいますが、ユーチューバーとわかった途端になれなれしくなった子どもたちによって、予定とは逆にすっかりおとなのメンツを壊されて逃げることになってしまいました。
いつの時代も元気に生きようと生れてくる子どもたち。元気すぎて始末に負えないくらいがちょうどいい子どもたち。人類の未来は明るいようです。
関連書評
『血液の闇』 献血は行うべきか・輸血は必要か
輸血に積極的に関わる善意の人々に関するニュースが定期的に流される。
しかし、医療関係者であればおそらく輸血の矛盾に気づかない人はいないだろう。
・赤十字による一括管理。
・輸血後の患者急変の多さ。
・不要と思われるケースの多さ。
・無駄になるケースの多さ。
輸血による副作用の頻度については、次のようなデータがある。
項目 |
頻度 |
アレルギー、蕁麻疹、発熱 |
1/10~1/100 |
溶血反応 |
1/1000~1/10000 |
低血圧反応 |
1/10万~1/50万 |
輸血後肝炎 (主にC型、ごく稀にB型) |
1/500~1/2000 |
1万~2万 |
|
輸血後エイズ |
1/100万 |
このデータを鵜呑みにすれば輸血による死亡の危険性は低いと考えるかもしれないが、統計データには歪曲がつきものである。
輸血が行われる場面として多いのは、悪性新生物29.3%、血液および造血器12.4%、循環器系13.5%などとなっており、不詳が23.5%ある。
輸血がどんなときに必要なのかといえば、次のように説明されている。
輸血は、血液の病気のために正常に血液が産生されない場合や、大量に出血して血液量が減った場合、貧血により酸素を体の組織へ運べなくなった場合、手術中に出血した場合などに行われます。また、血液成分が不足し、輸血以外の治療法で効果が得られないときに、最後の手段として身体の機能を維持するために行います。
実は、その多くが末期的な症状によって、貧血や大量出血が起きているときを対象としており、輸血の効果を期待できるような場面はごく限られているのではないかと私は見ている。医療現場で働く人々であれば事実を知っておられるだろう。
こうして、献血が足りないといいながら、ほとんど気休めのような目的で輸血が行われ、その裏で巨額の利益が生み出されているのではないだろうか。