book_rubyring’s blog

面白い本を紹介

時事ネタに絡めて、視点を多角化多角化する本を紹介します。
「Amazon.co.jpアソシエイト」

「親の暮らしは豊かだが、子の新規参入は困難だ。ならば親と暮らそう。」とニホンカモシカやオオカミは言った。

ニホンカモシカの母親は、一年に一度子を生む。そして、次の子が生まれる前に前の年に生まれた子をなわばりから追い出してしまう。しかし、食糧が豊かな年には、そのまま居座らせることがあり、三頭の子が母親と一緒に暮らしていることもあるのである。(『野生のカモシカ』)食糧が豊かであれば、さっさと子を追いだして新しいなわばりを見つけさせればよさそうなものなのだが、実際には逆になっている。

 

 

 

オオカミの群れも不思議である。オオカミは両親と子どもたちによる群れを作ることが一般的だが、獲物が豊富になると、おそらくはニホンカモシカと同じような事情で群れに含まれる個体の数が多くなるのだ。この場合、20頭もの群れの中で繁殖を行うのは1組のペアだけとなる。獲物が豊富だからどんどん増えようというのではなく、かえって繁殖行動が抑制されているように見えるのである。

 

親のなわばりから追い出された子たちは、すでに他の個体のなわばりによってほとんど埋め尽くされた土地で、新しいなわばりを得る闘いを強いられる。幸運にも持ち主がいなくなったなわばりを見つけるか、弱い相手と戦って勝てば生き延びることができるが、多くの個体は闘いに破れて死んでいくことになるだろう。エサが多いからといってなわばりの数が増えるのではなく、なわばりの中の個体の密度を上げることで無駄死にを避けているように見えるのだ。

 

このことを二ートの増加と結び付けて考えてみると、一つの仮説が浮かび上がる。私たちの社会は、労働人口の多くが第一次産業に従事していた状態から、第二次および第三次産業に従事する状態へと変化する中で、概ね求人倍率の高い状態が続き金銭的余裕も生まれていった。しかし、なわばりの数が飽和するように求人倍率が下がる中で、親の世代は以前の状況を引きずって比較的金銭的に余裕を持っていた。このため親たちは、子を無駄死にさせるよりも自分のなわばりの中に留まることを許した。これが二ートの増加であった。このように考えられるのである。

 

なわばりについて調べてみると、鮎の場合は、個体の密度が高すぎると縄張りを持つことを諦めて群れ鮎として過ごす個体の割合が増えるなど、さまざまな要因がからみあっており、単純に説明することはできないようである。しかし、動物たちと私たちは、まったく同じ力学に従って行動を変えているように見えるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「コメダ珈琲店」そっくり、店舗使用禁じる 東京地裁

「コメダ珈琲店」そっくり、店舗使用禁じる 東京地裁 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース 2016/12/27

大手コーヒーチェーン「コメダ珈琲(コーヒー)店」に外観や内装が酷似しているとしてコメダ側が和歌山市の喫茶店に対し、店舗外観などの使用差し止めを求めた仮処分の申し立てについて、東京地裁(嶋末和秀裁判長)は差し止めを命じる決定をした。27日、コメダホールディングス名古屋市)が発表した。

コメダ珈琲が韓国ファンドに買収されたのが2013年。コメダは地元密着型の安定企業から、利益追求型の成長重視企業に変わってしまった。

 

この記事にあるような事態も元のコメダであればけっしてなかっただろう。それが顧客を重視し、共存共栄を図る本来の商売のあり方であり、そのおかげでコメダは地元の人々に愛されて、まるで我が家にいるような気軽さで利用されてきたのだ。

 

韓国ファンドとされているが、日経ビジネスの記事によれば、筆頭株主はアジア系投資ファンドMBKパートナーズであるらしい。

business.nikkeibp.co.jp

 

MBKの名前の元にもなっている、マイケル・ビョンジュ・キム氏に関する記事が出ている。

シティが育てた銀行知り尽くした男-PE旋風、グーグル目指す - Bloomberg

 キム氏はMBKをスタートさせる前から既に韓国で最も著名な投資 家の1人だった。1990年にハーバード大学経営大学院を卒業した後、ゴ ールドマン・サックス・グループに入社し、企業の合併・買収(M& A)分野で経験を積んだ。95年にはソロモン・スミス・バーニー(3年 後にシティグループに統合)に移籍し、98年に40億ドル相当のソブリン 債発行を手掛けた。さらにカーライル・グループで2005年まで6年にわ たりアジア部門のプレジデントを務め、韓美銀行への4億5000万ドルの 投資を推進した。その後同行はシティに27億ドルで売却された。

 MBKは独立系投資会社であるようだが、その手法を学んだのはおそらくゴ ールドマン・サックス・グループ時代であるだろう。

 

金融の仕組みや裁判制度を作り上げることで、私たちは、金にむしばまれ、金を持つ物のいいなりになる社会に追い込まれたのだということをここ数年のコメダの動きからもはっきりと読み取ることができるのである。

 

韓国系資本という部分に反応する人もあるだろうが、本来ならばゴールドマン・サックスという名称に反応すべきなのだ。

 

 

関連書評:『日本一の変人経営者』こちらもハウス食品(JAL123便に社長が搭乗)に買収された名古屋の企業、ココイチの話。ちなみにユダヤ教徒の間でやりとりされる年賀状のデザインもはちみつのかかったリンゴを描くのが定番だそうです。

 

お勧めの2017年カレンダー 山と渓谷社 七十二候めくり

本音を言えば、カレンダーなど必要のない世界で暮らしたいのですが、そうもいかないので、日付に縛られた生活を2017年も送ることになりそうです。

 

そんなわけで、日々の生活を彩ってくれそうなカレンダーを探しに行ってきました。

 

そこで気に入ったのがこのカレンダーでした。日頃から好感を持っていた山と渓谷社から出ています。

 

七十二候めくりなので、5日に1枚めくることになります。

七十二候 今日は何の日〜毎日が記念日〜には、七十二候が次のように解説されています。

二十四節気は半月ごとの季節の変化を示しますが、これをさらに5日ずつにわけて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候で、これも古代中国で作られました。古代のものがそのまま使われている二十四節気に対し、七十二候の名称は何度も変更されています。日本でも、日本の気候風土に合うように何度か改訂されました。1874(明治7)年の「略本暦」では、それまでと大幅に異なる七十二候が掲載され、現在ではこの七十二候がつかわれています。

日本の気候風土に合うように改訂が重ねられているだけあって、季節の移り変わりを確かに感じることのできる内容になっています。

 

このカレンダーを検討していて特に気に入ったのは、収録されている写真が七十二候に記された内容にできるだけ忠実な、さわやかな自然とそこで営まれる実直な暮らしを思わせる写真であることでした。5日に1回ページをめくるたびに、このような写真と出会うことのできる一年間を想像して、購入を決めました。

 

2016年版も出ていたようでしたが昨年は気づいておらず購入できませんでした。始めて利用するのでまだ暫定にはなりますが、お勧めしたい商品です。人の本来の生き方を思い出すために、まず季節感を感じながら暮らしてみませんか?

 

 

 

 

 

読んでよかった「自然」の本

こんにちは。

この記事に興味を持っていただきありがとうございます。

 

皆さんはどんな基準で本を選んでいらっしゃるのでしょうか。

 

私は、人の本当の生き方を知りたくて本を選んでいます。

 

健康・医療・食・脳・心・肉体・生命・動物などのキーワードに反応して本を手に取り、特に、人類が長く続けてきた狩猟採集という生き方に着目しています。

 

この観点から本を選び始めて5年ほど経ちます。

 

その中で「自然」を題名に含む本を割と多く読んでいることに気付きました。いずれも良い本ですので、今回まとめて紹介させていただきます。

 

記事の件名に「自然」と書いてあったので、さわやかな自然を思わせる本を期待していた方には、申し訳ありませんが、そのような本は含まれていません。

 

1. 自然農法 わら一本の革命

これは有名な本なので読まれた方も多いかと思います。ただ、福岡さん自身、農耕に疑問を持たれていたのではないかと私は見ています。この場合の「自然」は、自然界から学び、自然界に近い状態を作ることを意味していると思われます。

 

2. 自然に聴く―生命を守る根元的智慧

書評を書く予定でしたがまだ書けていない本です。この本も『わら一本の革命』と同じく、化学肥料を大量に使い、土を殺す農業に疑問を感じた結果生まれた本です。書評を書くことができないのは、『自然に聴く:生命を守る根元的智慧』 - 毎日出てゐる青い空で取り上げた以上に共感できる部分がなかなかないためでもあります。しかし、自然界に従う以外にないという思想に私は強く共感しました。

 

3. あと40年健康を保つ 自然食の効力

私がこのような本を読む目的は自分の健康のためではなく、人の本来の食べ物を知ることに重点があります。この本は、小魚やエビなどを丸ごと食べること、野菜なども生で食べることの大切さなどを教えてくれました。肉や魚を食べることが悪いのではなく、家畜や養殖された魚介類、栽培された果物・野菜が健康に悪いのではないかという考えを私が持つに至った出発点になった本かもしれません。

 

4. 虫はごちそう(自然といきる)

これはしばらく手元に置いてあって、もっと早く読めばよかったと感じた本でした。この本が、「自然」という言葉から私たちが思い描く、野山の広がる世界というイメージに一番近い本であると思います。 自然といきることの楽しさが伝わってきます。

 

5. 動物たちの自然健康法

この本を読むと、動物と私たちとの近さを感じることになります。動物も健康法を持っていることを知ると、世界観はかなり変化するのではないでしょうか。一度は読んでおきたい本の一冊です。

 

6. 家庭でできる自然療法: 

一般の書店にないので、この本を知っている人は少ないでしょう。私が、風邪薬を飲む必要がないと知ったのは、この本に記載されている熱さましの方法で妻が熱を冷ましてくれたことがきっかけでした。それまで、病気といえばすぐに薬局の薬に頼っていたのが、今では、妻よりも私のほうが自然療法に傾いています。

 

7. 本物の自然療法

動物たちの自然健康法』で動物たちも薬草を使うことを知ったり、『あと40年健康を保つ 自然食の効力』で病気のときは断食して休むのがよいと知った上で読むと、この本の内容は、それらと矛盾する内容であったりします。それにも関わらず、『自然に聴く―生命を守る根元的智慧』と同様に、自然界に従う以外にないという思想が根底にある点で大いに評価したい本です。特に、私たちは、他の生命と切り離された命として存在することはできないと明確に指摘してあるところに、現代を生きるすべての人類に対するメッセージを私は読み取ります。

 

8. 覚醒する心体―こころの自然/からだの自然

この本全体に込められたメッセージは、私の考えるところとは大きく異なっています。また、内容も難しく十分に読み取ることができていない本です。それにも関わらず、ここに上げた本の中で最も重要性を持つ本であると私は受け止めています。その理由は、「<私>という存在のもっとも本質の部分に横たわっているもの(本質そのもの)は「<私>のコントロールできないもの」である」という重要な事実を教えてくれた本であるからです。私たちは、私たちの意志によって、世界を作り変えていくことができると考えがちですが、人の本来の生き方を探る読書を通じて見えてくることは、「私たちには、地上で生まれ地上で死ぬ生物としての生き方以外に生き方はない」という事実です。肉体から離れることもできなければ、寄生虫やウイルスを全滅させることも、精神だけの存在になることもできません。本書では、こうして、自然として存在する人生を「わたしの人生」として受け入れる主体が生まれるといっています。そこに、言葉によって当事者性を奪われた私たちが当事者性を取り戻すチャンスがあり、生物として束縛された生を受け入れていく、人類が地球環境を破壊しない唯一の道があると私は受け止めています。

 

「自然」という言葉を私たちが思い描くとき、自然に聴く―生命を守る根元的智慧』、本物の自然療法』、『覚醒する心体―こころの自然/からだの自然』で指摘されているような、私たちの生を束縛するものとしての自然はほとんど意識されでいないでしょう。

 

しかし、「自然」の持つ真の重要性は、これらの本で指摘されている、私たちの生を束縛し、私たちのコントロールできないものとしての自然であり、動物たちのように、それに身を委ねることで私たちはようやく大きな安心感を得られ、自然界に包まれたまま生きることができるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

火を放つ

動画をいくつか紹介します。

オーストラリアのアボリジニが野焼きをして狩猟のしやすい環境を作っていたことを示す動画です。

 

 

 

 

 

 

アボリジニ遠い昔に農耕を行っていたかもしれませんが、伝統的な暮らしは狩猟採集生活であると見なされています。しかし、アボリジニの社会を他の狩猟採集社会と比べると、他の狩猟採集者たちが「 政治、宗教、経済といった面での社会的分業も未分化で、社会的統合のレベルも低く、集団の意志を長期的にわたって左右できるリーダーも存在しない」とされるのに対して、アボリジニの社会は、随分複雑であるという特徴があります。

 

このような複雑さは、アボリジニが狩猟採集者なのではなく、野焼きを利用して狩猟採集型の農耕を行う農耕民であるところに発しているのかもしれません。

 

アボリジニによる野焼きは自然と共存するための知恵*1なのか、それとも、里山千枚田と同じように、ある程度自然と共存しながらも、本来の自然を大きく変えてしまう活動*2なのか。

 

*1 アボリジニーの感覚では神話的時代と現代とのあいだにへだたりはない。実際、つい百年前まで、「文明人」からいわせれば石器時代そのままの暮らしをしていたのである。この「未開人」が蓄えてきた知恵は、しかし、自然保護ひとつとってもたいへん理にかなったものが多い。たとえば彼らは、雨期の終わりに草原や林に火を放つが、これは白人が考えていたような自然破壊行為ではなく、植生を保つのに役立っている。野焼きをしないと落ち葉がたまって、乾期に手の付けられない大規模な火事が引き起こされる可能性があるし、背の高い草や木が茂って、アボリジニーの食糧であるカンガルーなど中型の動物の生存圏を狭めてしまう。

 

*2 オーストラリアでフィールドワークをしていると、アボリジニに惚れ込んでいる人々に出会うことがある。彼は一様に「アボリジニたちは自然と共に生きている」というのである。確かに彼らはいまだに自然の実りを口にする部分が大きい。自然に対して手を加えることは少ないかに見えるが、はたしてどうであろうか。すでに述べたように、彼らは明らかに森に火を放ちそのことによって森を管理している。ブッシュに火をつけることは、大気中の二酸化炭素濃度を増やすことにつながる。したがって、昨今の地球温暖化論議からしても、まさに環境破壊である。もっとも、狩猟採集民や焼畑耕作民の火によって増加する二酸化炭素放出量よりも、工場や発電所、塵埃処理のためのそれの方が遙かに多いだろうが。
 しかし、考えてみると人間はそもそも環境を破壊してしか生きていけない動物なのではないか。出アフリカ以来、人間が到着した新しい土地から次々と大型動物が消滅している。オーストラリアでもディプロトドンなどの大型の動物は、人間が大陸にやってきた後に絶滅した。環境に手を加えて単一の植物種のみを栽培する農業もその最たるものである。人間のなんと業深いことか。

それはともかく、原始的な生き方をしているように見える人々の実像を知ってみれば、その土地で得られる環境を生かして長く生活を続けるための知恵が詰まっていることに、私たちはここでも気づくのです。

 

 

 

 

 

遊び疲れて日が暮れて

大きな木も育たない、水の流れる川もない、乾燥した土地で生きていくことはできるだろうか。

 

冬季の平均最低気温は0度を下回るような土地で霜が降りたりするのである。

獲物になる草食獣や、ダチョウも住んでいるが、ライオンもうろつくことのある土地なのである。

 

 

そんな土地に暮らす人々の様子を、音を消してみていると、毎日実に楽しそうに見えてくる。

 

みな、しなやかそうに痩せた体付きをしていて、体中が顔面のような丈夫な皮膚で覆われている。

 

なにしろ、学校もなければ会社もなく、持ち物も少ないのだから、気軽な暮らしだ。

 

夜になれば明かりのない世界が広がっているだろう。

 

雨が少ないことや、草木が少ないことは、快適な空間を作りだすことになっているようだ。

 

男の子たちは砂丘をかっこうの遊び場にして、マットの上で遊ぶように跳ねまわっている。

 

女性たちは、白い石を削って首飾りを作る。

 

 

男性たちが、獲物をしとめて帰ってくれば、皆で喜んで踊るのだが、 その踊りは見せるための踊りではなく、その歌は聞かせるための歌ではない。

 

 

この様子を見ていると 人間の本来の感情のあり方が伝わって来る。

 

 

もちろん、カラハリに住むことができるのは、賢く知恵深い人々であるからだ。 必要なほとんどのものを大地から得て暮らしていけるのだ。 そして、『身体の人類学』を読むとわかるように、人間は童話の国の存在ではなく、人間関係に苦しみ、さまざまな決まり事を作って生きている普通の人たちなのだ。 それでも、電気も水もお金も国も裁判所も学校も企業もない世界は、こんなにも生き生きとした感情豊かで本来的な世界なのだ。

 

 

 

ウルトラマンのような、宇宙怪獣のようなセンスを持っていた、氷河の地に住む裸族

絶滅した裸族「ヤーガン族」がまるでウルトラマンや仮面ライダーの超センス:DDN JAPAN 

その異様な風貌は、19世紀にこの地に降り立ったフェルディナンド・マゼランチャールズ・ダーウィン、ジェームズ・クックらを驚嘆させ、ダーウィンは「彼らが同じ世界に住む仲間であるとはほとんど信じられない」と書き残しています

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裸で生活してきた永い年月によって彼らの代謝は現代人からは想像できないほどのレベルに達し、極寒の中でも高い体温を維持することを可能にしていました。体の表面積を少なくするために、彼らの生活の基本的な姿勢は屈んだ状態だったと伝えられています。 

おそらくおよそ7万年程前にアフリカを経った人類の祖先が、陸伝いにたどりついた果ての地は、氷河の見える場所でしたが、海流の影響で、冬でも平均最低気温がマイナス2度ほどに保たれる緯度の割には温暖な土地でした。

 

この彼らの様子を写真に撮影したのがドイツ人宣教師(先住民の絶滅に先だってまたしても宣教師!!)、 Martin Gusinde(マルティン・グシンデ)でした。

 

写真を収録した著書は英語版「The Lost Tribes of Tierra del Fuego」とフランス語版/スペイン語版「L'esprit des hommes de la terre de feu」が出ているようです。

 

ヤーガンの生活ぶりについては、『世界の狩猟民』に多数記述されています。

 

奇抜なセンスだけでなく、生きる知恵にも興味を持っていただけたらと思います。